浅野忠信の母・浅野順子(74)は、戦後の横浜で青春を謳歌した女傑だ。アメリカ人調理兵の父と元芸者の母の間に生まれ、18歳で伝説の美少女グループ「クレオパトラ党」に加わった。のちに世界的モデルとなる山口小夜子やキャシー中島も在籍したとされる、知る人ぞ知るそのグループの実態を、畏友のミュージシャン・近田春夫(73)との対話の中で明かした。

 大反響を呼んだ記事の内容をダイジェスト版でお届けする。

◆◆◆
本編は、以下のリンクからお読みいただけます。

山口小夜子も参加した“伝説の美少女軍団”「クレオパトラ党」、浅野忠信の母・順子さん(74)もメンバーだった!「ディスコでバチンバチンになることも…」


一触即発のディスコで運命の出会い

 クレオパトラ党への加入は、ひとつの偶然から始まった。浅野さんが女友達と元町のディスコ「ロマン」で踊っていたところ、5~6人の女たちが乗り込んできて一触即発の雰囲気になった。しかし翌日、彼氏に連れられてレストランに赴くと、その因縁の相手が同席していた。

「彼氏の友達の彼女というのが、前の晩にバチンバチンに張り合ったあの女だったのよ」

 その人物とは、現在、横浜・弁天通りで「サリーズ・バー」を切り盛りするサリーさんだった。食事をともにするや「あっという間に意気投合して、その日から、二人で家にも帰らず遊び呆けることになった」と浅野さんは振り返る。

 クレオパトラ党の実態は、世間のイメージとはやや異なるものだった。メンバーは6人ほど、少数精鋭。同世代の遊び人グループ・ナポレオン党と連れ立って遊ぶことも多かったが、あくまで友人関係だったという。、「N党の面々は、わざわざ私たちと付き合わなくても、よその女の子を引っかけて上手いことやってたから」。

 キャシー中島の著書によれば、クレオパトラ党には「タバコは吸ってはいけない」「誰よりもカッコよくステップを踏まなければならない」「男とセックスしたらメンバーから出ていくこと」という3つのルールがあったという。

 後年登場する暴走族やヤンキーとは一線を画す、美学とスマートさを持った集団だったと強調する浅野さん。自らの流儀を貫いた彼女の半生は、昭和の横浜という舞台なしには語れない。

◆◆◆
浅野順子さんの半生は、以下のリンクから詳しくお読みいただけます。

》【#1を読む】〈祝ゴールデングローブ賞受賞〉浅野忠信を育てた母・順子さん(74)が語る「家族の歴史」 米兵の父との別れ、元芸者の母との生活、“ハマに名を馳せた”10代…
》【#2を読む】山口小夜子も参加した“伝説の美少女軍団”「クレオパトラ党」、浅野忠信の母・順子さん(74)もメンバーだった!「ディスコでバチンバチンになることも…」
》【#3を読む】高校中退後、ゴーゴーガールに…浅野忠信の母・順子さん(74)が語る、怒涛の青春時代〈月収30万円でオーディション制、忘れられないモデル仕事も…〉
》【#4を読む】19歳で結婚、ヘソ出しGパンで授業参観、公園でビキニ姿で日光浴…浅野忠信の母・順子さん(74)が明かす、浅野家の“自由すぎる子育て”
》【#5を読む】「忠信は子どもの頃から不思議と…」国際派俳優、浅野忠信の母・順子さん(74)が明かす“スターの片鱗”とユニークすぎる「英才教育」
》【#6を読む】浅野忠信さんの母・順子さん(74)が明かす、人生を変えた「60代の恋」 離婚、介護を経て…「一緒にいられるのは10年。楽しいことをいっぱいしようねって」
》【#7を読む】〈70代でふたたびモデルの世界へ〉「ママ、もったいないよ」と浅野忠信らに背中を押され…母・順子さん(75)が語る、驚きの“奇遇”と「70代の夢」
》【#8を読む】浅野忠信さんの母・順子さん(75)が明かす、人生を変えた“60代の恋”「彼が力いっぱい自分を出したら、と」60代で画家デビュー、70代でモデルの道へ…