運良く惑わされずに帰って来た者が、あるはずのない明かりが見えるこの現象を『不知火』と呼ぶようになったという話は、ひとつの伝承として知られている。
「不知火は、不吉なものとされておりますからな。皆、気味悪がっておりましたよ」
老爺自身は世間話の一環として語ったようだったが、床几に腰かけて飴湯を飲んでいた雪哉は、隣に座る若宮の目つきが今までとは違う事に気が付いた。
「その、栖合という集落へは、どう行けば良い?」
「栖合は、旧街道の終着点でさ。ここいらでは、一番山の端に近い集落ですな」
「旧街道……」
「わしの祖父さん達の時代は、それなりに栄えていたらしいですけどね。新街道が出来てからはすっかり廃れて、今では人の往来なんざほとんど無いですよ」
しかし、一応は整備されていた跡があるため、それを辿っていけば自然に行き着くはずだという。
旧街道の行き着く果て、栖合。
その名前は、先程耳にしたばかりである。雪哉は隣を見上げた。
「確か、今日会う約束をしていた栖合の人が、約束の時間に来なかったとか言っていませんでしたっけ」
とある行商人から聞いた話である。
栖合の者は、普段はめったに宿場へとやって来ないのだが、手に入りにくい入り用の物があると、宿場を通して行商人に注文する手筈になっていた。これまで、行商人が来るのを待っている事はあっても、待たせた事は無かったのにと、不思議がっていたのだ。
若宮は唐突に立ち上がった。
「ご主人。美味い飴湯をどうもありがとう」
もういいのかい、と目を瞬く老爺に二人分の代金を渡すと、若宮は足早に歩きだした。
「ちょっと、若さま」
慌てて飴湯を飲みほし、雪哉は小走りになりながら若宮の後を追った。
「どうしたんですか。仙人蓋と不知火が、一体何の関係があるんです?」
「分からん」
きっぱりと言い放った若宮に、雪哉は一瞬口を噤んだ。
「分からないって……」
「分からんが、どうしても放っておけない気がしたのだ。最初に栖合の名が出た時も気になったが、今ので確信した。手掛かりは栖合にある」
2024.07.27(土)