きちんと戸籍もあるしな、と、肩越しに身分を証明する手形を差し出される。背中につかまったまま、ひったくるようにそれを受け取った雪哉は、内容を確認して呆れ返った。
「よくもまあ、用意周到に……。まさかとは思いますが、中央の皆さんに黙って来たわけではありませんよね?」
敵の多い宮中において、この男の味方になってくれる奇特な人物は宝である。そんな仲間にも黙って出て来たのであればいよいよ救いようが無いと思ったが、若宮はあっさりとそれを否定した。
「そこまでの無茶は出来んよ。心配するな。敵方も、若宮は迎えたばかりの奥さんの所に、入り浸っていると思っているはずだから」
何気なく言われたが、どうやって敵の目を誤魔化しているのか、考えるだに恐ろしい。雪哉が宮中にいた一年の間も、若宮は敵対する勢力に、常に命を狙われていたのだ。
若宮は、八咫烏の族長一家、宗家の嫡男というわけではない。
八咫烏の長は金烏と呼ばれ、その座は、ほとんどの場合世襲される。通常であれば、現金烏とその正妻の間に生まれた長男、兄宮が次の金烏となってしかるべきだったが、若宮は「真の金烏」として生まれたという理由で、次男――しかも、側室の母から生まれた――にも拘わらず、日嗣の御子の座に着く事になっていた。
そもそも族長を表す「金烏」という用語は、実はふたつの存在を指し示している。
ひとつは、金烏の本来の形である「真の金烏」。もうひとつは、真の金烏が存在しない間、あくまで場繋ぎとして代理を務める「金烏代」だ。金烏代が単なる宗家出身の八咫烏であるのに対し、真の金烏は、そもそも八咫烏とは完全に異なる生き物だとされていた。
八咫烏は、夜間に転身を行えない。ところが真の金烏は、日没後も自由に姿を変えられるなど、普通の八咫烏ではあり得ない事が出来るのだとされていた。そして今、雪哉の目の前で馬を駆る若宮は、その真の金烏であると言われている。
2024.07.27(土)