なぜ皇族は和の礼服をお召しにならないのか

 そもそも、なぜ皇族は和の礼服をお召しにならないのか。国家の近代化、西洋化にあわせるかたちで明治以降、第一礼装は洋装とされてきたという理由もあるが、そこには宮中伝統の考え方もあるようだ。喜久子さまのお言葉を、私は今でも忘れることができない。

「いまのかたちの和服は、そもそも江戸時代の『下方(したかた)』の服装ですから」

 これが皇族意識かとハッとさせられた。「下方」という表現を聞いたのも初めてだったが、つまり、身分の低い人たち、庶民を指す言葉である。もちろん皇后陛下を始め、各妃殿下も着物をお持ちになっている。だが、着物というのは着こなしのスタイルに大して差がないわりに帯をはじめとしていくらでもお金を掛けられる。つまりお金を持っている庶民であれば、皇族を超える着物を持つことができる。皇族が庶民と同じであってはいけない――これは喜久子さまに限ったお考えではなく、皇族に共通する意識だという。皇室ファッションは皇族としての強い自負の表れでもあるのだ。

 それは美智子さまにも当てはまる。腰まで届くヴェールの喪服だけでなく、美智子さまのお召し物は、英王室をお手本にしながらも、美智子さまにしかないオリジナルの輝きを放っているからだ。

 

美智子さまの代名詞「小皿帽」

 例えば、美智子さまファッションとして、触れずにはおけないことといえば――。それは「お帽子」と、だれもが異口同音に答え、さらにコメントを加えたがるかもしれない。ご結婚当初は、そのお帽子の制作をしていたのは、ベル・モードといわれるが、近年は「平田暁夫」が多い。

 新調されるときの基本は、洋服とのアンサンブル。思い切りつばの広いものもあるが、最近は女性誌などが、「小皿帽」などと名づけている直径20センチぐらいの丸型の帽子で、花のコサージュが乗っていることもある。暁夫さんの妻で、同じく美智子さまの帽子制作を担当している恭子夫人は話す。

2023.02.05(日)
文=堀江 瑠璃子