深いテーマ、理屈抜きに楽しめるシーンも

 それが「杖折檻(つえせっかん)」といわれる場面。弁慶はあろうことか義経を𠮟りつけたあげくに、手にした杖で打ち始めるのですが、目下の者が手をあげるなど当時としては考えられないこと。それは規則とか慣習に縛られた義務的な感覚ではなく心から主君を思い敬う忠義ゆえ。その行為は弁慶にとって「(杖を手にした)腕の痺るる」ほど心情的に辛いことなのです。

 あり得ないことが目の前で起こっているのですから、その場にいる四天王もまた辛いはず。何ともいえない空気が漂う時間であることは言うまでもありません。そこで勘の鋭い富樫は真実を察し、とんでもない決断をすることになるのです。

 弁慶も富樫も根底にあるのは、人が人を思い、自らの信念に基づき決断し行動する勇気。文字にするのは簡単ですが、現実にはなかなか難しいというのが正直なところではないでしょうか。だからこそ、相容れない立場であるはずの弁慶と富樫の無言の心の交流に観る者の心は揺さぶられ、事態が一段落した後に義経が態度で示す温情が深い感動を呼び起こすのではないでしょうか。

 深いテーマを内在させながら展開されるスリリングなドラマは、フィジカルパフォーマンスとしても見どころ満載の、長唄の名曲に乗っての舞踊劇でもあります。團十郎さんの「何より大切なのは義経を守る心」という言葉は、大前提として基礎を踏まえた表現技術あってこそのもので、弁慶が飛六方で花道を引っ込むまで理屈抜きに楽しめるシーンも随所に盛り込まれているのです。

 十三代を数える團十郎家も、400年の歴史を超える歌舞伎も、現在に至るまでには数々の危機を乗り越えてきました。近しいところでの大きな出来事は先の大戦における戦中戦後の混乱ですが、それを生々しい記憶として知る人も少なくなって来ました。

 そして2020年に世界中を襲ったパンデミックは、多くの人々にとってそれぞれの事情の中で初めて出遭った未曽有の出来事。江戸随一を匂わせて“随市川”と称される團十郎家の襲名はそんなタイミングと重なりました。

 三福対となる役を演じるのは、この先の歌舞伎を中心となって共に背負っていく世代です。安宅の関での難局に立ち向かうそれぞれの人物に、コロナ禍における演劇界において新たな可能性を探りながら立ち向かっている演じ手の姿が重なり、リアルな臨場感を醸し出しています。その姿に勇気づけられると共に、今のこの現実を生きる私たちがよりよい明日を迎えるためのヒントが浮かび上がっているようにも思えるのです。

市川海老蔵改め 十三代目 市川團十郎白猿襲名披露
十一月吉例顔見世大歌舞伎
八代目 市川新之助初舞台

日程 2022年11月7日(月)~28日(月)
会場 歌舞伎座
【昼の部】祝成田櫓賑(いわうなりたこびきのにぎわい)/歌舞伎十八番の内 外郎売(ういろううり)/歌舞伎十八番の内 勧進帳
【夜の部】歌舞伎十八番の内 矢の根/十三代目市川團十郎白猿 八代目市川新之助 襲名披露 口上/歌舞伎十八番の内 助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)
https://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/play/769

市川海老蔵改め 十三代目 市川團十郎白猿襲名披露
十二月大歌舞伎
八代目 市川新之助初舞台

日程 2022年12月5日(月)~26日(月)
会場 歌舞伎座
【昼の部】鞘當(さやあて)/京鹿子娘二人道成寺(きょうかのこむすめににんどうじょうじ)/歌舞伎十八番の内 毛抜(けぬき)
【夜の部】十三代目市川團十郎白猿 八代目市川新之助 襲名披露 口上/團十郎娘(だんじゅうろうむすめ)/歌舞伎十八番の内 助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)
https://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/play/770