私は昭和生まれだが、筋金入りの妄想族。感情移入せずにいられない。出てくる言葉がシンプルなので、昭和だろうが平成だろうが令和だろうが、恋する女の子は一緒だなあ、という最大公約数のような共感が生まれてくる。
「応援側」に立ち続ける徹底ぶり
そして、大きな変化も求めていない。楽曲から見えるのは「ありのままを受け入れてくれる運命」への強い願いだ。これは平成後期の大きな特徴だろうと思う。
平成前期は「自分探し」に出かける人が多かったが、自分探しはゴールがない。探し疲れが起こるのもある意味当然。次第に今の自分の価値観と向き合うように流れが変わり、「アナと雪の女王」(2014年)は、そこにズバッとハマったのだと思う。
ありのままの姿を見せて、それを受け入れてくれる人こそ運命。でも、そのまま愛してもらうためには、プロフィールの整理や自己分析が必要だ。しかもありのままの自分をさらけ出すのって勇気がいる……。そんな迷いが今度は出てくる。
西野カナは見事にその足踏みを描いているが、徹底しているのが、彼女の立ち位置はあくまで「応援側」ということ。歌詞を読んでも、「西野カナ」本人の個人的なバックボーンや価値観、訴えたい思いはほとんど見えてこない。ここが同世代の他のアーティストに比べて、ちょっと珍しい。
「大勢の声を包み込む」ストーリーテラー
現在西野カナの歌が全曲サブスクリプション公開されているが、その紹介文に「恋愛のストーリーテラー」とあって、とても納得した。「代弁者」よりもう少し遠い距離感。ストーリーテラー、もしくはファシリテーターというイメージである。
新たな表現で唸らせるのではなく、王道の言葉をサクサクと与えてくれる感じ。彼女が関西(三重県)出身なのが関係あるのかどうかはわからないが、吉本新喜劇的と言おうか。お決まりの言葉でドカンとお決まりの感動や展開が来る安心感。
彼女の作詞法は、多くの人の意見を参考にする「マーケティング法」という手法なのだというが、なるほど! 「トリセツ」のMVは、まさにその「大勢の声をまとめる」彼女の聞き上手が分かるストーリーになっている。舞台にはたくさんの女の子。客席には、その女の子の好きな人(恋人)がいる。そして、「急に不機嫌になることがあります……」と1フレーズにつき、1カップルずつ起立して、女の子が発言していくのだ。そして、西野カナは舞台の横で司会進行をし、女の子の発言をやさしく補足する。
2022.03.07(月)
文=田中 稲