浅野順子さん。対談は、彼女が日々創作に励むアトリエで行われた。本棚には、美術書がいっぱい。 近田春夫さん。「浅野順子という人物の魅力をもっともっと世間に知らしめなければならない」という気持ちに駆られ、今回の対談を自ら企画した。なお、対談そのものは2024年夏から秋にかけて行われ、今回の記事掲載に当たって最新情報を加えたため、近田さんは半袖シャツを着ている。公開が遅くなりまして恐縮です。 順子さんは1950年9月23日生まれ、近田さんは1951年2月25日生まれ。つまり同学年に当たる。 アトリエの壁には、次男である浅野忠信の写真も飾られていた。 順子さんの愛犬、ビスケット。来客が大好きで、取材中はスタッフたちの足元にさかんにじゃれついていた。 米軍が駐留した終戦後の横浜ならではの思い出が、次々と鮮明に蘇る。 近田さんの父も、浅野さんの母同様、戦時中は満洲で暮らしていた。現地では、NHKから出向する形で、満洲電信電話という会社で放送業務に従事。同社のアナウンサーを務めた森繁久彌とは同僚であった。 父・ウィラードさんがウォレットに忍ばせ、終生その身に携えていた順子さんの写真。 順子さんの父、ウィラードさんの葬儀で使用された国旗。アメリカでは、退役軍人の葬儀において、棺を星条旗で包むという習わしがある。 アトリエには、順子さんの手がけた多種多様なオブジェが所狭しと並ぶ。 絵具やクレヨン、筆などを自在に駆使し、浅野順子独自の世界が生み出される。 浅野順子さん。対談は、彼女が日々創作に励むアトリエで行われた。本棚には、美術書がいっぱい。 ©平松市聖/文藝春秋 順子さんは1950年9月23日生まれ、近田さんは1951年2月25日生まれ。つまり同学年に当たる。©平松市聖/文藝春秋 アトリエには、順子さんの手がけた多種多様なオブジェが所狭しと並ぶ。©平松市聖/文藝春秋 10代の頃の浅野順子さん(本人提供) 10代の頃の浅野順子さん(本人提供) 浅野順子さん。 ©平松市聖/文藝春秋 アトリエの壁には、次男である浅野忠信の写真も飾られていた。©平松市聖/文藝春秋 米軍が駐留した終戦後の横浜ならではの思い出が、次々と鮮明に蘇る。©平松市聖/文藝春秋 アトリエには大きなサイズの作品も。 ©橋本篤/文藝春秋 順子さんの愛犬、ビスケット。来客が大好きで、取材中はスタッフたちの足元にさかんにじゃれついていた。©平松市聖/文藝春秋 浅野順子さん。 ©平松市聖/文藝春秋 10代の頃の浅野順子さん(本人提供) 父・ウィラードさんがウォレットに忍ばせ、終生その身に携えていた順子さんの写真。©平松市聖/文藝春秋 浅野順子さんのアトリエの様子。 ©平松市聖/文藝春秋 浅野順子さん。 ©平松市聖/文藝春秋 浅野順子さんのアトリエの様子。 ©橋本篤/文藝春秋 浅野順子さん。 ©平松市聖/文藝春秋 浅野順子さんのアトリエの様子。 ©平松市聖/文藝春秋 浅野順子さんのアトリエの様子。 ©平松市聖/文藝春秋