NHKから中継車を1ドルで譲渡される

近田 ジュディさんが日本にやってきたのは、いつだったんですか。

ジュディ 最初は、父が東京に単身赴任したんです。私が3歳の時に、環境が整ったということで妻子を呼び寄せ、一緒に暮らすことになりました。

近田 ジュディさんは、それからずっと日本に定住することになるわけですね。

ジュディ 私は母のことをママさんって呼んでるんですけど、ママさんは地主のお嬢さんですから、土地を買いたいって言ったんですよ。でも、父は若かったから、車が欲しかった。ビュイックとかフォードとかキャデラックとかを、1年ごとに買い替えて乗り回してましたね。手放す時は、その車を欲しがっている方に売るんですけど、そのたびに利益が出て、ママさんはそれを元手に家を買ったりしてましたね。

近田 華僑ならではの商才を感じますね。

ジュディ 劉家のお嬢ちゃんたちは、代々、銀行に勤める子が多いんですよ。お金をどう運用したらいいか、家の中で学んでいるから。

 後に、父は、台湾において「電波の父」と呼ばれる存在となりました。GHQの後には、次々とテレビ局を立ち上げます。まずは、TTVこと台湾電視公司の創設に携わり、続いてはCTVこと中国電視公司を軌道に乗せる。

近田 局をまたいで活躍したんですね。

ジュディ 1960年代後半のCTVでは、連続ドラマを制作するに当たり、技術提携していたNHKの力を借りたんですよ。ちょうど、日本のテレビが白黒からカラーに移行する時期だったので、不要となった白黒用の中継車を譲り受けることになった。

近田 放送史には、そういうエピソードが埋もれているんですね。

ジュディ 当初、NHKの担当者は「差し上げますよ」と言ったらしいんですが、さすがに経理や税務の関係上、何百万円もするものをタダでもらうわけにはいかない。その旨を伝えたら、結局、米ドルにして1ドルで譲渡することになったそうです。

近田 粋な話ですね。

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