タイ修業を経て、『クローズZERO II』でエキストラ初体験
――次のターニングポイントといえば、沖縄のジムに移籍し、後にタイへ修業に行かれたことでしょうか。
そうですね。東京では毎日キックボクシングの練習をしながら仕事もしていたので、月に15万円ほどの収入がありました。当時の自分にとっては使い道がわからないほどの大金でしたし、彼女もできて毎日がめちゃくちゃ楽しくて。だんだんと練習に行かなくなってしまったんです。
ふと「このままじゃヤバい、K-1に出られなくなる」と焦っていた時期に、内弟子制度のある「真樹ジムオキナワ」に声をかけていただいて。「仕事はしなくていい代わりに、住み込みで朝から晩まで練習。テレビなどの娯楽も一切禁止」という過酷な環境でしたが、祖母の言葉を信じて自分を追い込むことにしたんです。その後、大きな大会で負けたのを機に、キックボクシングの本場であるタイへ修業に渡りました。
――2年間のタイ修業から戻られた後、2009年公開の映画『クローズZERO II』にエキストラとして参加されています。監督の三池崇史さんは、「真樹ジム」の創設者である真樹日佐夫さんと親交が深いですよね。
タイから戻ったとき、ジムの先輩が「ネットでエキストラを募集しているぞ」と教えてくれたんです。もともと原作が好きでしたし、めちゃくちゃ出たかったんですけど、内弟子は基本的に外出禁止で、支部長の許可を取らないといけないんです。
ダメ元で支部長に「すいません!『クローズZERO II』に出たいんです!」と直談判したら、「じゃあ、三池監督に電話してやるよ」と言われて、「ええー!?」と(笑)。支部長と三池監督が繋がっているなんて一切知りませんでしたから。
――そこから演技の魅力に目覚め、エキストラを続けられたのですか?
いえ、撮影が終わったら沖縄に戻り、これまで通りの生活でした。ただ、格闘技を始めてからずっと、対戦相手に対して「俺はすごく悪いやつを倒すんだ」という強い気持ちで挑んでいたんです。でもある試合の計量中、相手選手に会ったらめちゃくちゃ良い人だったんですよ。
試合には勝ったのですが、その選手が泣いている姿を見たとき、なんとも言えない罪悪感に駆られてしまって……。「自分は本当にキックボクシングをやりたいのだろうか?」と、違和感を持つようになりました。
それからは「できるだけ試合はしたくない、ベストな成績は引き分けだ」と考えるようになってしまって。お金を払って観に来てくださる観客を楽しませるプロとして、誰も傷つかないのがベストだなんて、格闘家として絶対にダメな考えですよね。そんなとき、ジムのUSENから流れてきたFUNKY MONKEY BABYSさんの『ちっぽけな勇気』が刺さったんです。
