セツのために東京へ
ただ、八雲は諸手を挙げて帝国大学講師になったわけではありません。セツはこう回想しています。
〈神戸から東京に参ります時に、東京には三年より我慢むつかしいと私に申しました。ヘルンはもともと東京は好みませんで、地獄のようなところだと申していました。東京を見たいというのが、私のかねての望みでした〉(『思ひ出の記』)
そんな気構えでしたから、後になると、「あなたの見物がすみましたら田舎に参ります」とよく言ったものでした。
ともあれセツに東京暮らしをさせることが、上京に際しての八雲の目的でした。かねて歌川広重の錦絵にあこがれていたセツです。江戸、東京の風情にひかれていました。
なによりセツは、大都市の匿名性を好んでもいました。地方では当時たいへん珍しかった外国人の妻として心ない視線にさらされることもありました。大都会ならあまり目立たずに暮らしてゆけますから。東京育ちの僕にもそれは分かります。
