いよいよ終盤を迎える朝ドラ「ばけばけ」。主人公トキ(髙石あかり)と夫・ヘブン(トミー・バストウ)のモデルとなった小泉セツ、八雲夫妻の歩みにも様々なことがありました。
錦織友一(吉沢亮)のモデルになった、八雲の親友・西田千太郎。八雲が彼に会ったのは帝大講師への転身を控え、松江に帰省した夏が最後になりました。
夫妻のひ孫で小泉八雲記念館館長を務める小泉凡さんが2人を語った『セツと八雲』(朝日新書)より一部を紹介します。(全5回の2回目/初回「熊本で八雲が魅了された“近代日本の著名人”」を読む)
異例の抜擢で最高学府の講師に
1896(明治29)年9月、八雲は帝国大学文科大学(現在の東京大学文学部)に英文学の講師として招かれました。来日してから7年目、大きな転機になります。
八雲は神学校を中退し、高等教育機関で学ぶ機会はありませんでした。当時、日本で唯一の帝国大学に採用されたのは異例の抜擢(ばってき)です。
こういう機会を得られたのは、ほどなく帝大総長になった教育者、外山正一(とやままさかず、1848〜1900)が八雲作品の愛読者だったからでしょう。英国や米国への留学経験があり、八雲とも英語でやりとりしています。文部大臣にもなった人物でした。
たしかに八雲は帝大に採用されるには十分な学歴ではありませんでしたが、若い頃からたいへんな読書家でした。最高学府の教壇に立っても不足のない知識と力を備えていたと思われます。
一時期、フランスで神学校に通っていた経験があって仏語が堪能で、専門家が太鼓判を押すほど、フランス文学の英訳をきちんとこなせました。米国で新聞社に勤めながら、フランスのボードレール作品の英訳を手がけたこともあります。後の『怪談』につながる再話文学『中国霊異談』といった本の刊行も、こつこつとこなしてきました。
前にもふれましたが、来日第一作『知られぬ日本の面影』のインパクトがありました。米国の後、英国などでも出版され、評判は欧州にも広がってゆきました。物書きとしての実績は、やがて申し分ないものとなってゆきます。
