プリンスは小室哲哉、森昌子、桜田淳子と同い年

圧倒的なクリエイティビティが、膨大な数のアルバムを世に送り出した。こちらはすべて西寺氏の私物。

 プリンスはアメリカ合衆国中西部にあるミネソタ州ミネアポリスという街に生まれ育ちました。

 日本でいうと仙台あたりのイメージでしょうか。決して田舎ではないけれど、ニューヨークやロスといった大都市とは違う、独立した文化圏に住み続けながら世界中に音楽を発信してきました。

 彼は裕福ではない家の子で、両親は不仲で離婚してしまいます。背もちっちゃい。黒人で157センチって相当背が低いです。そうした状況の中、音楽で成功することでしか自分のアイデンティティを保てなかったところはあると思うんですね。

 彼は1978年にデビューして以来唯一無二のスタイルを貫き、今年9月にリリースされた最新アルバム『ヒット・アンド・ラン フェーズ・ワン』では流行のEDM(Electronic Dance Music)的な曲にも挑戦。いまだに新しいことをやろうというチャレンジ精神には頭が下がります。

 これがどれだけすごいことかというと、プリンスは1958年生まれでマイケル・ジャクソン、マドンナと同い年です。日本だと小室哲哉さん、玉置浩二さん、みうらじゅんさん、それからびっくりするのが桜田淳子さん、森昌子さん、山口百恵さん──百恵さんは59年の早生まれですけど、いわゆる“花の中3トリオ”も日本で言うなら同学年です。

 そう考えるとプリンスって見た目もやってることも若いなって思いませんか? 自主的にEDMに接近してんですよ? いまEDMをやっている百恵さんや森昌子さんを想像してみてください(笑)。彼のことを知らなくてもバイタリティーのすごさは伝わってくるんじゃないでしょうか。

 僕が『プリンス論』を書いた理由は、どうやったらこれだけエネルギッシュかつ新鮮に自分が楽しく生きていきながら音楽を続けてられるんだろうと探るためでした。僕はミュージシャンですけど、ラーメン屋さんであれ、お医者さんであれ、何かのプロの人が読むとおもしろい本になってるんじゃないでしょうか。

 これは声を大にして言いたいことなんですが、プリンスがいなければ、いまの日本の音楽界も相当違うものになっていたはずなんです──それが直接的な影響でなかったとしても。

 そんな話を次回以降していこうと思っています。

2015.12.09(水)
文=秦野邦彦
撮影=榎本麻美