奈良の都の最後に現れた幻の大寺

 西大寺は天平宝字8年(764年)に、東大寺を創建した聖武天皇の娘、称徳天皇という女帝によって創建されました。

 政治不安を背景に鎮護国家への思いをこめて西大寺は生まれました。しかしほどなくして称徳天皇が53歳で崩御、その後京都に都が遷ると荒廃の一途を辿るのでした。

この空に五重の塔を思い描いてみたい東塔基壇跡。

 その頃の年表には、火災により講堂を失う、雷火により五重塔一基失う、台風により食堂が倒壊、寺中焼亡、鐘楼倒壊……との痛々しい記事が連なるばかり。

 荒廃する只中の西大寺を再興したのが、鎌倉時代の叡尊(1201~1290年)という稀代の名僧でありました。真言密教を学んでいた叡尊でしたが、戒律を守ることを何より尊重し、密・律兼修の「真言律」の根本道場として西大寺の伽藍を整備しました。貧民や病人の救済活動にも力を注ぎ、生涯におよそ9万7千人の人々に戒を授けたと伝えられています。

 室町時代には兵火で堂宇を失い、現在の殆どの建物は江戸期に建立されたものです。

 鎌倉時代、叡尊により西大寺は身(伽藍)も、心(み教え)もすっかり生まれ変わった、ということがご理解いただけましたでしょうか?

 よく知られる「大茶盛式」の行事も、「お酒の代わりにお茶を飲みましょう」という不飲酒戒の実践であり、またお茶は高価な薬でもあることから医療、福祉活動でもあり。叡尊の教えが盛り込まれているのですね。

 さて、いよいよその叡尊が始めた、宗派最大の行事のお話です。

2015.10.02(金)
文・撮影=中田文花