ベルリンはドイツの首都として負の歴史や暗い過去をも背負う街。だがそれらを反証に、東西再統一から30数年、欧州随一の“若い首都”として自由と芸術を称揚し続けている。


分断と再統合の歴史により変化を楽しむ懐の深い街

 ベルリンを象徴するランドマークを一つに絞るのは難しい。プロイセン国王が建立したブランデンブルク門は壮麗な威厳を放ち、分断の時代に東と西を隔てていたオーバーバウム橋は街の中心ミッテ地区から少し離れているが必見の場所でもある。

 芸術文化の中心である博物館島は、歴史の中で生まれた作品の数々を目の当たりにできる醍醐味に満ちている。

 いわばロンドンやパリが英国やフランスでないと言われるのと同じぐらい、ベルリンも他のドイツの街と趣を異にする。謹厳実直で冗談の通じないドイツ人、そんなステレオタイプからベルリンの人々はほど遠い。

 公共工事の完成は必ずといっていいほど後倒しになるし、Sバーンをはじめ公共交通機関で小さな遅延や変更は頻繁に起きる。名物カレーヴルストの盛りつけも皿に行儀よく収まっている方が珍しく、むしろ適当さや気前のよさの方が際立つ。だから公の場所で見知らぬ相手にも愛想よく気さくだし、マイノリティや他所者にも概して優しい。

 ベルリンは欧州では比較的、新しい首都で、ホーエンツォレルン家がブランデンブルク選帝侯ついでプロイセン公に封ぜられたのは15~16世紀のこと。三十年戦争やスペイン継承戦争を経てベルリンは新教徒の移民をオランダやフランスから迎え入れた。

 啓蒙専制君主が哲学者ヴォルテールと文通したり、革命から逃れてきた白系ロシア人を受け入れたり。そんな開明的なエピソードと反動的な時代の振れ幅は激しいものの、経験的に前者の方が上手くいくことを知っているかのよう。

 東西ドイツ再統一から30数年が経って“旧東独らしさ”は街灯や信号機、集合住宅などインフラに多少見られるぐらい。数年前、旧東独の経済復興のため徴収されていた「連帯税」が高額所得者を除く労働人口の9割で廃され、目に見える東西格差はほぼない。

 国境検問所チェックポイント・チャーリーのような観光名所が消えることはなさそうだが、分断されていたドイツを知らない世代が現役で働いている現在、“後進的な旧東独”は過去になりつつある。

 かくして自由と多様性を取り戻し、次のフェイズに近づいたベルリンは、これまで以上に刺激的だ。

CREA Traveller 2026年秋号
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