父・翁炳栄は台湾の“電波の父”
近田 お母さまの方も、やはり由緒のあるご家系だったりするんですか。
ジュディ ええ。先祖は、鄭成功(てい・せいこう)の率いる軍の将だったんです。
近田 鄭成功といえば、17世紀に勃興した清に抵抗し、台湾に政権を打ち立てた英雄ですね。『国姓爺合戦』の主人公のモデルとしても知られます。
ジュディ はい。なお、父方の祖先も、鄭成功の軍医だったんですよ。母方の祖先である将軍は、南京で矢に射られて命を落とし、奥さんと子どもたちは、鄭成功とともに台湾に渡ります。その子どもは、勉強がとてもよくできたため、龍潭という土地の藩主のような役割を任されるんです。母は、その劉家の末裔に当たります。
近田 お父さんはどんな方だったんですか。
ジュディ 祖父は、長男には家業を継がせましたが、次男である私の父、翁炳栄(おう・へいえい)には、徹底的にやりたいことをやらせたんです。それが、文学でした。
近田 家督を継がなくていい立場ゆえですね。
ジュディ 父の翁炳栄は、後に、台湾において「電波の父」と呼ばれる存在となります。終戦後、四川省の大学から台湾に戻った彼は、BCCと略称される国立のラジオ局、中国広播公司の創設に関わります。そして、台南にあった支局を訪れた時、そこに住んでいた母と出会い、大恋愛の末に結婚するんです。
近田 お母さんは、どういったタイプの女性だったんでしょう。
ジュディ 超モダンガールですね。普通、そういった旧家に生まれると、箱入り娘になっちゃうものじゃないですか。でも、彼女は、お花見に行くと言って乗馬に行ったり、お習字に行くと告げてダンスホールに出かけたりしていたらしい。
近田 お転婆だったんですね。
ジュディ 年を取ってからも、それは変わりませんでした。私より先にレザーパンツやハーレムパンツを穿いていたし、季節外れの厚着をしているから「どうしたの」と聞くと、「今からスウェーデンにオーロラ見に行ってくる」と言い残して突然海外に出かけちゃったりもして。
近田 行動的だなあ。
ジュディ 兄と私が生まれてから、父は、日本に駐留するGHQ、連合国軍最高司令官総司令部に召喚され、心理作戦部にチーフとして所属することになりました。厦門でインターナショナルスクールに通っていたから、中国語と英語ができる能力を買われたようですね。
近田 心理作戦部というのは、何をする部署だったんですか。
ジュディ 中国語のバラエティ番組を作って、短波放送に乗せていたんです。自由主義の素晴らしさをアピールする内容だったそうです。その関係で、家には最新のアメリカのレコード、フランク・シナトラのジャズのSP盤なんかがたくさんありました。私、本当に小さな頃からジャズを聴いてたんですよ。
