統合失調症の姉を入院させるまでに25年かかった
――映画でも伝わってはきたのですが、書籍を読んで改めて藤野監督がいかにギリギリの状態で自分を保っていたのかを知りました。
映画だと、僕が第三者目線で冷静に家族を見ていたような印象を受けるかもしれませんが、そんなことはなくて。序盤のナレーションで「朝起きるのが嫌だった」ということも喋っているんですが、学生の頃は頭の中をいろんなことがぐるぐる回って眠れなくなることもよくありました。なんとか思考を止めたくて音楽を繰り返し聞いたり、真冬なのに夜中に歩き回ったりして。精神状態としては、あの頃が一番よくなかったと思います。
――そういう話を聞くと、統合失調症の当事者だけでなくその家族に対するセーフティーネットの必要性を感じます。
今では病院も待っているだけではなく、家までお医者さんが来てくれるというようなアウトリーチ活動もあるらしいですが、仰る通り家族に対してはまだ支援が届いていない。統合失調症に関する講演をしたあとに主催者の方と話すこともあるんですが、当事者だけでなく家族に対する支援がもっと必要なんじゃないかという話はよく聞きます。家族に話をしても、うちのように「何も困っていません」と返ってくることも多いらしいですが。
――藤野監督はそういうアウトリーチがあれば状況は変わっていたと思いますか?
たとえば姉は病院から薬を処方されても飲まなかっただろうし、それだけでは治療できなかったと思うんです。だからきちんと治療しようと思うと入院して病院での生活を習慣づける必要があったけど、本人にその意思がなく、両親も反対している場合、入院治療はできません。本人の自由を制限することになる以上、簡単にはいかないんです。
姉を入院させたときも、医師の診断とともに代諾者として家庭裁判所に行って、姉の権利を制限して3カ月入院させたように順序がある。現在は兄弟姉妹が代諾者になった場合、両親の意思よりも優先されるそうですが、姉が入院した当時は親の判断が優先されていたので、病院側も「両親を説得してください」と言うしかない。映画を観た人の中には「呑気にビデオカメラを回している暇があるなら病院に連れていけ」という反応もあったんですが、それは現実的に無理だったんですよ。
――やはり両親が拒否しているというのは大きいんですね。
うちに関してはキーパーソンは父でしたね。もし父親が協力してくれていたら、姉も納得して入院して、薬も飲んでくれたと思います。実際はそこに辿り着くまでに25年もかかってしまったわけですが。
「あなたの求めているような解決はないのかもしれない」
――大学の先生に相談して、家族療法を受けようとしたことは映画でも語られていましたが、それが失敗したときに先生から言われた「あなたの求めているような解決はないのかもしれない」という言葉の印象は書籍で大きく変わりました。映画では残酷な響きを纏っているようにも思えたんですが、大学生だった藤野監督はそれで一歩前に踏み出せたと。
その言葉でむしろ前向きになれたんです。それまで自分が「できないかもしれない」とうっすら思っていたことがはっきりしたんですよ。両親が拒否してきたという事実からもその先生が言ったことは正しかったと思いますし、大学4年生で就職先も決まっていた時期なので、すっきりしたと言いますか。
さらに言えば、そのときに将来を見通しちゃったんです。両親は60歳くらいで、経済的にも体力的にも問題がなくて、病気にならなければこのまま2人で姉をあと20年は看続けるんだろうと。平均寿命を考えると、そこから先はどういうかたちかはわからないけど僕が姉の生活をサポートすることになる。だから今は好きなことをやろうと思えたんです。もちろん家族が面倒を見るのは義務ではないし、その判断は個人個人、自由だと思います。でも少なくとも僕は先生の言葉でそう考えることができて、自分のことだけに集中する時間を持てました。当時は1円も稼いでいない状態だったので、まず経済的に両親から自立することが先だと考えたんですよね。
