日本のアイドル像を塗り替えた「自己主張するアイドル」小泉今日子と「永遠の少女の自立」を描いたマンガ家、岡崎京子。80-90年代の日本で旧来的な女性像に抗い、自由でいることを模索した「2人のキョウコ」が切り開いた道。そこから社会学者の米澤泉さんが導き出した、女性が真に自由に楽しく生きてゆくための方法とは?
「永遠の少女」の自立を目指して
──小泉今日子と岡崎京子は、アイドルとマンガ家という表現ジャンルは違えど、80-90年代に最もエッジィで影響力のあったファッション誌というメディアに深く関わっていた人でした。米澤さんは岡崎さんのマンガをどのように見ていたのでしょうか?
私自身はふわふわした恋愛を描いた少女マンガには深く入り込めなかったんです。でも、岡崎さんのマンガは絵柄も登場人物のファッションもおしゃれで、とんがった80-90年代の空気がすごくリアルに描かれていて、スッと入り込めた。当時、ファッション誌でマンガが連載されること自体、ものすごくセンセーショナルで、新しいものが出てきた!というワクワク感がありました。
──「ROCK」や「東京ガールズブラボー」が連載されていた『CUTiE』は、『宝島』のスピンオフ雑誌として創刊されたもので、当時盛り上がりつつあったクラブシーンやストリートカルチャーの情報が盛り込まれた雑誌でした。個性的なものを好む女の子にとって、岡崎さんのマンガはまさに「リアルな私たちが登場する少女マンガ」だったわけですね。
岡崎さんは80年代の終わり頃に単行本のあとがきで「まだ新しい女の生き方は登場していない」。「それなら自分自身が作っていくしかない」と書いています。当時岡崎さんは20代でしたが、自分が表現者として、あるいは1人の女性として、生きていく上でロールモデルにできる大人の女性はまだ現れていないと思っていた。だからこそ、岡崎さんは自分の居場所を探して彷徨う女の子を繰り返し描いたんですね。
──米澤さんは、そんな岡崎さんの作品を「大人になりたくない女の子たちのあがき」と評しています。結婚して妻や母になるといった生き方に疑問を抱き、自由でいたいと願う女の子は、今では多数派だと思うのですが、当時はまだまだマイノリティだったのでしょうか?
そう思います。今では30歳で結婚していない人は都会では当たり前で、むしろ20代で結婚するとなんでそんなに早く結婚するの?と言われるようになりましたが、80年代から90年代前半までは、30歳までに結婚しなければいけないようなプレッシャーなどがすごくあった。旧来的な女性の道からはみ出した女性が、どう生きていけばいいか。本の中では戸川純さんを例に挙げて書いていますが、生理のことを口にすることがタブーだった時代にランドセルを背負った個性的なファッションで生理の歌を歌う女性が、ある一定の人々に受け入れられていたことは、今振り返っても画期的な現象だった。社会も女性自身も、女性性をどう扱うべきか模索していた時代でした。
──仕事を持って経済的に自立した女性は増えたけれど、それで真に自由に生きられるかというと、社会的にはまだまだ女性に対する様々な圧があって、誰もが葛藤を抱えていた。
自由でありたいと抗いながらも現実はまだまだ難しい時代だったと思います。ファッションひとつとっても、ボディコンシャスなものが流行っていましたし、女は女らしく、男は男らしくという圧はあった。「彼氏いない歴○年」といったような言い方があったように、絶対に恋愛しないといけない圧も強く、その延長線上に結婚があったので、そこからはみ出すことは、かなり勇気が要ることでした。
2024.08.27(火)
文=井口啓子