この記事の連載
- 光石研さんと北九州、東京。 1/3
- 光石研さんと愛犬グリグリ 2/3
- 光石研さんと俳優 3/3
「無意識に『おうどん』って言っている」九州の方言と自分自身
――同じ福岡県でも、北九州と博多では気質が違うようですね。
博多は商業都市としてずっと栄えていますが、北九州は企業城下町。1950〜70年代、八幡製鐵所(のちの新日本製鐵)が好調だったときに、北九州市の人口が福岡市よりも増えたんです。それが80年代に入ると鉄鋼業が冷えてしまって、衰退していきました。
――勢いのあった頃の北九州で、光石さんは子供時代を過ごされた。
そうです。当時、大人たちは元気よかったですし、すごく愛着があります。
僕の生まれ育ったのは北九州市八幡西区黒崎。でも、北九州の中心はやっぱり小倉なんです。黒崎は博多でもなく、小倉でもなく、どちらからも馬鹿にされてました(笑)。
母は生まれも育ちも黒崎で、黒崎にすごくプライドを持っていました。父はソウル生まれで、戦後に博多に引き揚げてきた。でも光石家は元々は佐賀出身なんです。父は八幡製鐵への就職を機に八幡にやってきた。そんな父と母の間にも小さな確執があって、「パパはなまっとる」、佐賀の田舎者だと母は言っていたのですが、「いやいや、ママもなまってるからね」と子供心に思ってました(笑)。
――昨年主演された二ノ宮隆太郎監督の『逃げきれた夢』は、光石さんの故郷黒崎で撮影されました。あの映画で話されていた言葉が、光石さんの言葉に近いですか?
そうですね。僕の言葉は筑豊弁に九州弁が少し混じっていると思います。
――先日、木梨憲武さんのラジオにゲスト出演されていたときにも指摘されていましたが、光石さんは、「お布団」や「お稽古」など、とても上品な言葉を使われますよね? お坊ちゃんのような言葉遣いと言いますか。
全然、お坊ちゃんではないですよ(笑)。でも、この前も妻に「あなた『おうどん』って言ってるよ」と言われて驚きました。自分では気づいてなくて、無意識に「お」をつけてしまっているみたいです。
2024.07.06(土)
文=黒瀬朋子
撮影=榎本麻美
ヘアメイク=大島千穂