旅の余白が余韻になり、心の余裕になる

――第3章「兵庫で夏の日帰り温泉旅」のときは、だいぶ旅慣れた様子でした。

 温泉は何度かひとりで行ったことがあるので、慣れていた分ハードルが低かったんです。日帰りなのも気楽でした。泊まると荷物も増えるし、お金もかかるし。あと、ホテルを選ぶのが最初の難関なんですよ。どこがいいかな、駅から近い方がいいのかなと悩んでいるうちに予約が埋まっちゃう不安があって。だから、ホテルの予約が必要ない日帰り温泉旅は、自分にとって出かけやすかった。

 反対に、昔から遊園地には「行くからには楽しまなきゃ」という謎のプレッシャーを感じてしまいます。できるだけアトラクションに乗るためには、優先順位を決めて段取らなくちゃいけない。その場の空気に飲まれてしまう感覚になるんです。郷に入っては郷に従えと思って、それはそれで楽しいのですが。

 でも温泉なら、温泉があるところに自分が行くだけ。私が行こうが行くまいが、温泉はそこにずっとある。だからプレッシャーが少ないんです。あとは好きにすればいい。

 このときはマンガの3ページ目で温泉に浸かっていますが、その時点で旅の目的を100%達成しているんです。お湯に入った瞬間に「これのために来たんだ」と思って、コンプリート。その日のミッションが終わるんですよ。それ以降は余白っていうか。

 いくつか旅をしてみて、「私は余白が多い旅が好きなんだな」と気づきました。ミッションコンプリート後のプラスアルファ、その余白が多ければ多いほど良い。

 旅行から帰ったとき、余白をどれだけ楽しんだかで持ち帰るものの大きさが違うんです。旅の余白が帰宅後の余韻になる。そして日常に戻って忙しい毎日が続いても、良い体験をした余韻が残っていると、それはそのまま心の余裕になるんです。

 「兵庫で夏の日帰り温泉旅」は完全に余白の旅。温泉に浸かった後の足つぼマッサージも、1万冊あるセレクト読書コーナーも、全部余白です。本を読んでいた2階では、寝ている人もいるし、全員だらだらしていて。ここは何もしなくて良い場所なんだと思って気が楽でした。

意外と世界は優しかったし、自分はちゃんと楽しめる

――6つの旅を終えて、旅に対してのイメージはどう変わりましたか。

 1年前は「どうやら旅はいいらしいぞ」と思いつつ、苦手意識が強くて。今は「旅っていいねえ」という気持ちだけがあります。

 当時はパッケージツアーのイメージから、旅行といえば海外、飛行機。日常と全く違う場所に行って、普段と違うことをしないといけないという固定観念がありました。日数もお金もかかるし、長年取り組んできた「節約」の対極に「旅行」があって、ずっと私にはムリだと思っていて。

 でも、やってみたら意外と何でも旅になるんですよね。1泊2日で隣の町へ行って日常から少し離れるだけで、気分転換になる。自分の好きにしていいということがわかりました。最後の「京都で懐かしおもいで旅」では、それまで欠かさず買っていた自分へのお土産を買っていないばかりか、帰宅するまでそのことに気づきもしなかったんです。

 旅という目線で切り取ると、見慣れたものも違って見えてくるという発見もありました。今は関西在住なので関西近郊を巡ることが多いのですが、近くの場所でも“旅フィルタ”を通すことで見えてくるものがあります。以前住んでいた場所に行ってみるのも面白いですよね。東京を離れて1年以上経ったので、そろそろ東京へ旅行してみたいです。今行くとまた違う風に見えるかなあと。

――旅を通じて、おづさん自身はどう変化されましたか。

 ちょっと明るくなったというか、視野が広がったように思います。旅って、行こうと思ったら行けるものなんだなと。

 第5章「神戸アンティークときめき探し」では、ひとりでバーへ行くと決めたもののすごく不安があったんです。知らない土地の初めてのお店だし、嫌な気持ちになったらどうしようと。でも、行ってみたら優しい人ばかりで楽しく帰って来られました。

 意外と世界は優しかったし、自分はちゃんと楽しめるんだという自信がつきました。ひとりを本気で楽しむには、経験が必要なんだと思います。普段読んだり考えたりしていること、時間そのものが、全部旅に出てくる。

 ひとり旅は「ひとりですることの集大成」のような感じ。旅を重ねるにつれ自信もつくし、行きたいこと、やってみたいことが増えていきます。

2024.03.19(火)
文=松山あれい