歴史に詳しい読者であれば、足利義教がどんな運命を辿り、この時代がどう動いていくかは知っているかもしれない。だが、主人公はあくまで、名もなき庶民である小鼓である。彼女が歴史上の人物たちとどう絡み、どうやってこの過酷な時代をサバイブしていくかが本書の読みどころだ。歴史の流れの行きつく先を知っていても(もちろん知らなくても)、主人公の視点に立って物語を愉しむことができる。その点で、本作はエンターテインメント小説として大成功を収めていると言っていい。

 だが本作の魅力、凄みは「エンタメとして一級品」というだけにとどまらない。筆者が唸らされたのは、この小説に込められたある種の革新性だった。それは、前近代の日本に当たり前のように存在した差別構造と真っ向から向き合っているところだ。

 物語前半、九州に渡った小鼓は戦場で瀬良という女性に出会う。彼女は女性でありながら足軽となり、男たちを率いて戦場を渡り歩いていた。人権の概念が無い時代、戦場では略奪が横行し、女性が強姦されるのは日常茶飯事だった。瀬良は略奪や強姦から弱い者たちを守るため、“ガラスの天井”に頭を押さえつけられながらも一軍の将になることを目指す。

 また、紆余曲折を経て東国に辿り着いた小鼓は、かつては自分も“東狗”と蔑みの目を向けていた関東の人々と交流し、自らの差別意識に向き合う。さらには、癩病(ハンセン病)患者が集まる庵で働きはじめるのだ。

 例外はあるにしても、歴史小説の多くは実在した英雄豪傑のサクセスストーリー、あるいは奮闘虚しく敗れ去った者たちの悲話だ。そうした物語は単純に面白いし、素晴らしい小説は無数にある。だが多くの場合、戦に巻き込まれて強姦される女性や、凄まじい差別構造の中で社会の底辺に押し込まれ、存在さえも黙殺された病人たちの視点が描かれることはない。

 武川佑は、本作のインタビューでこう語っている。「歴史は英雄や名を残した人々だけのものではない」「小鼓は、名もなき人々の象徴であり、虐げられた人々の最大公約数的存在」と。

2024.03.04(月)
文=天野純希(小説家)