10代の頃は、話の裏に隠された不義の匂いにわくわくしたり、痴呆の症状を見せる老人にげんなりしたが、50を過ぎた今、読み返して気がついたのは、ここに出てくる老人たちは全員、あの戦争を辛くも生き残った人たちだ、ということだった。

 

3000円の価値はこの50年で変わっていない

 日本の平均寿命は戦後すぐの1947年で男50歳、女54歳である。それがこの本が書かれた1976年には男性72歳、女性77歳で、約30年間の間に20歳以上伸びている。この20年という年月は平和の証に他ならないのに、皮肉にもこの物語に出てくる市井の人々の大きな憂鬱のたねとなっている。

 戦争中はその生死の便りに一喜一憂し、少しでもよいものを食べたい、食べさせたいと必死に生きてきたはずの人たちが今、長生きによって生まれたこと……定年後の夫が無趣味で家に居続け、毎食、大飯を食らうといったささいなことに、死ぬほど嫌気が差している。長寿のリスクとはよくいったものであるが、人間というものはなんと身勝手でわがままなものだろうか。

 しかし、一方で、科学の進歩、社会保障の整備によって幸せになる人も描かれて、一時の清涼剤になっている。その主人公が部屋で飼うジュウシマツのように、かわいらしく爽やかで私たちを優しい気持ちにしてくれる。

 作中の金銭感覚にも注目したい。青い壺が骨董市で売られる場面があるが、これが3000円。今でも出自がわからない、中古品の壺ならこのくらいの値段が妥当なのではないだろうか。しかも、主人公はこれをとてつもなく「安い」と喜んで買っている。3000円の価値はこの50年であまり変わっていない。

 さらに、この人が京都旅行に現金30万を持って行くがたりないか心配する、というくだりには瞠目した。キャッシュカードもクレジットカードもない時代で、彼女がお金持ちの大奥様であっても、だ。当時の大卒初任給が9万円あまりで、そこから換算すると、30万は今の70万以上のイメージのようだ。それでも、今、30万の現金をぽんと旅行に持って行ける人はあまりないだろう。そこに出てくる金銭価値が、今とほとんど変わらなすぎて不安を覚える。

2024.02.22(木)
文=原田ひ香