死んだら絶対、ハロウィーンタウンに行こう。
さて、ヘルシーでガーリーな装いに覆い隠されていた私の胸の内。成長してある程度自分の思うところを言葉で話せるようになった頃になって、ようやく周りの人たちは気づいたのだった。「こいつ、暗いぞ」と。
同級生が書いてくれたミクシィの紹介文には「変人」「あまり喋らない」「脚が長い」「たまに喋ると面白い」などの言葉が並んでいた。愛らしい見た目のハンデもなんのその、私のキャラ設定は成功したようだった。問題は、その性格の上に多感な時期特有のセンチメンタルが乗っかって、人より少し深い希死念慮に囚われてしまったことだった。中高生の頃はとにかく死ぬことばかり考えていた。なにかはっきりとした悩みがあったわけではなくて「毎日同じ時間に同じ場所へ行っておとなしくしている」という生活が耐え難かった。特に高校の3年間は毎日ほぼ誰とも喋らず過ごしたせいで、朝、京急線のホームで1,000人目のゴーストになりそうになったことが何度もあった。クリスマスにもらったベクシンスキーの画集を眺めていると、少し心が安らいだ。さっき、私は変なおばさんになるために「あえて」正社員の道を絶ったというように書いたが、考えてみれば私にまともな会社勤めなんて無理なのだ。午前中に起きるスケジュールが続くと、必ず死が寄ってくる。今となってはこの高校3年間はなんの記憶も残っていない。
20代後半になって、死について考えることはめっきり減った。そんなことを考えている暇がないほど毎日が目まぐるしい。昔、中華街の占いのおばちゃんに「あなたは歳を取ったら、今からは想像できないほど明るいおばちゃんになる」と言われて、そんなわけがないと思っていたのに、いざアラサーの棺桶(棺桶ではない)に片足を突っ込んでみると、なるほど、どんどんお喋りになるしよく食べてよく笑うようになって、命が焼けるような恋愛はちょっとめんどくさくなって、背中のぱっくり開いたワンピースを着ちゃったりしている。もしかして、私は明るいおばちゃんになりつつあるのだろうか。
それでも、ダークでポップでありたいと思い続ける。笑って泣ける爽やかで痛快なストーリーはどうしても好きになれなかった。私が私の人生を語っていくには、どうしても湿気とホコリの匂いが必要だ。これまで起きた悲しい出来事も、面白おかしく書いてしまえば楽しく読んでもらえることが嬉しい。
絶望的だった日々に何度も寄り添ってくれた死神に見捨てられませんように。人は死ぬのが怖くないように神様や天使を作ったけれど、私にとってはオバケになってもゾンビになっても墓場で歌いながら愉快に過ごせる世界がなによりも救いなのだ。死んだら絶対、ハロウィーンタウンに行こう。
26歳の今、1本だけある白髪を大切に育てている。これがあるかぎり、いつか死ぬという仄暗い事実は、私を見張り続けてくれるだろう。
伊藤亜和(いとう・あわ)
文筆家、モデル。1996年、神奈川県横浜市生まれ。学習院大学文学部フランス語圏文化学科卒業。「晶文社スクラップブック」「きらきらシニアタイムス」「エレマガ。」にて連載中。
X(旧Twitter)@LapaixdAsie
Column
DIARIES
編集部が注目している書き手による単発エッセイ連載です。
(タイトルイラスト=STOMACHACHE.)
2023.09.16(土)
文=伊藤亜和