私が物を書きはじめたときには、「私の本を何十年も先に残したいなどとは思わない、読みたいときに読んでもらって、『ああ、面白かった』といって捨てられても、それでもいい」と思って原稿を書いてきた。本を読んでくれた人の人生のなかで、ほんの一瞬でもいいから、「面白い」とか「楽しい」とか「へええ」とかいった感想を持ってもらえ、沈んだ気持ちが少しでも晴れるきっかけになってくれれば、それでよかった。同じように、私は買った本をそのように読んでいたのだった。

 私にとって本はお勉強するというよりも、ずっと楽しみのひとつだった。若い頃は買った本はほとんど手放さなかったが、この年齢になると、物を管理するのも大変になってきて、本も増やしたくないので、買って読んでいるけれど、読んだらすぐに処分するようにしている。本棚にある本も、次々に処分しているので、少なくなってきた。

 忘れているのは覚えていたからだ。一度、頭の中に入れないと、忘れることすらできない。これまでの人生でたくさんの本を買い、読んできて、頭の中に残っているのはごく少数なのがわかったのだけれど、今の私も、これからの私も、それでいいとあらためて思ったのだった。


(「文庫のためのあとがき」より)

2023.08.31(木)