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フランス語の入り口に立ったのは7年目

――フランス語が話せるようになったと実感したのはいつ頃でしたか?

 入り口に立ったなと思ったのは、7年目くらいですかね。誰かと話していても、後ろでフランス人が話していたりすると、同時通訳みたいに耳にフランス語が入ってくるようになったんです。でも、フランスで自分のアイデンティティやキャラクター、メンタリティーを持ちながら、フランス人と同じレベルで話すようになるには、20年くらいはかかると思います。もちろん語学力も大事だけど、人と人が仲良くなるには、やっぱりコミュニケーション能力が必要だと思いますね。

――猫沢さんが考える、コミュニケーション能力の高い人とはどんな人ですか?

 すごく仲の良い友人で、4カ国語を喋れる子がいるんです。いろいろ喋れるが故に、ひとつの言語にそこまで深いバックグラウンドがあるわけではなくて、なかでもフランス語歴がいちばん浅い。でもフランス人だけの集まりに参加しても、まったく問題ないんです。ボギャブラリーの多さとかではなくて、動物的な勘とか間合いとか、そういうのがコミュニケーションには大事なんだなと思いましたね。他の友人で、ニューヨークからパリに引っ越してきて、「僕はフランス語は勉強しないことに決めた」と言って、英語だけで4年間暮らしていた人もいました。人と人が仲良くなるには、言語だけではないんですよね。

猫沢エミさんのパリのキッチン。

――パリは英語が話せる人が増えて、国際化が進んでいると聞きました。

 そうなんですよ。私が初めにパリに来た頃は英語を話す人もまだまだ少なかったのですが、この20年で急激に増えて、インターナショナル度が高まったと思います。その友人もパリが好きだから引っ越してきたというより、パリは世界のハブ都市だし、世界と仕事がしたいから選んだと言っていましたね。あと、ごはんがおいしい場所でないと絶対嫌だからって(笑)。語学力だけじゃなく、やっぱりその街のライフスタイルが肌に合うかどうかはすごく大事ですよね。

――パリの食文化も変化したなと感じますか?

 日本食でいえば、当時もレストランが登場し始めていましたが、まだ中国人がやっている日本風の寿司屋がメジャーという時代でした。でもパリでも本物の日本食が広がって、いまはかなりコアなものを食べられるようになってきましたよね。メディアが日本を紹介するなら、ファッションや建築が主流だったのが、食にも注目し始めるみたいな流れもあって、日本人のシェフも増えてきて、日本食って寿司だけではないんだということをフランス人も知り始めたと思います。日本食材もすごく手に入りやすくなりましたね。

――猫沢さんは、パリでどんな料理を作っているのですか?

 最初は彼も食べられるものがいいなと思って、洋食なら簡単に食材も手に入るし、オムライスやナポリタンをよく作っていました。Netflixでドラマ「First Love」を見たことで、彼がナポリタンを認識して気に入ってしまって(笑)。そうやって可能な限り、フランスの食材を代用して日本食を作っていますね。

 開いてある鳥もも肉や豚や牛の薄切り肉がなかなか売っていないから、自分で処理をしたり、臭みを取るための日本酒の代わりに白ワインを使ったり、いろいろ工夫しています。和食の食材は高いけれど、日本にいた時にどれだけフランス産ワインやチーズにお金を出していたのかって思うと、いま逆転したんだなと思って割り切っています。パリに来て外食に行く数を減らして、家ごはんをより豊かにするようになりましたね。

――恋しいと思う日本のものはありますか?

 もう唯一恋しいのが、たまに仕事が終わった後に御徒町に飲みに行けないこと(笑)。新橋の高架下に夜11時から繰り出して、ちょっと一杯引っ掛けてから寝るとかね(笑)。カウンターに座って、店の親父の顔を見ながらグチグチ文句言ったりする。

 そういう時間って、やっぱりパリにはないんですよね。もちろんパリもたくさん飲めるところがあるし、すごく楽しい。最高なんだけど、でも良い音楽を聴いて喋りながら一杯とかではないんだよな、みたいな(笑)。オシャレじゃなくて気取らない空気感がほしくなるというか、そういう体感は日本に帰らないと味わえないですよね。

2023.08.12(土)
文・撮影=鈴木桃子