北野プロデューサーは前掲のハフポスト日本版でそう自戒する。だが、作り手が慎重になり、多面的に物事を描いても、その作品を受け取るSNSのリアクションはメッセージを単純化し、分断する流れにある。

 それは野木亜紀子脚本に限らず、宮藤官九郎、坂元裕二、渡辺あやといった日本を代表する脚本家たちの作品へのリアクションにも共通している。1話1時間、あるいは1クール10話前後の時間をかけてどれほど複雑な構造を描いても、SNSはその中の一部でしかない「名台詞」だけを抜き出し、一刀両断の痛快な物語であるかのようにバズらせてしまう。

 かつて野木亜紀子と新垣結衣は『空飛ぶ広報室』という航空自衛隊の協力するドラマで仕事を共にしている。その時も「自衛隊広報の片棒を担ぐのか」という批判はあった。それから10年の時を経て、SNSの左右の分断と先鋭化はさらに深まっている。

 

 加速するSNSとドラマのその危険な関係を知るからこそ、作り手は放送前に「沖縄基地問題を一刀両断にはできないのだ」という警告を懸命に発しているように見える。

「0日にした方がよくない?」がバズってしまったワケ

「20年以上モメにモメて、県外じゃなくて辺野古になった」「どうして県外じゃなくなったんですか?」『フェンス』第2話では、松岡茉優演じる女性ライター、小松綺絵と編集長がそんな会話を交わすシーンがある。その会話は「最低でも県外」という、政権交代前の民主党党首の発言を否応なく思い出させる。

 沖縄基地問題の進展を掲げたにもかかわらず、政権交代した民主党は理想と現実の間で立ち往生した。沖縄の苦しみを軽減するために、では日本のどこになら中央政府が力ずくで負担を押し付けていいというのか? ニュースキャスターも新聞記者も明確な答えを持たなかった。迷走の上結論は辺野古移設に戻り、沖縄県民には深い失望が残った。

 沖縄問題に関しては、リベラルの手も泥まみれに汚れている。そして野木脚本はもちろん、そうした記憶を呼び起こすことを承知で書かれているのだ。

2023.04.09(日)
文=CDB