大学卒業後は資生堂に入社、そしてイギリスへ

遠山 平林さんは武蔵野美術大学の空間演出デザイン学科をご卒業されていますが、どうして空間演出デザイン学科だったんですか?

平林 芸大だけを受け続けていたんですがうまくいかず、これはそろそろヤバいなと思って、ムサビの空間演出デザイン学科を受けたら受かったという、いい加減な感じです。

遠山 空間デザインに興味があったわけではない?

平林 そうですね、そのころイギリスのレコードジャケットなんかのデザインがすごくカッコよくて大好きで、やっぱりグラフィックデザインが好きでした。でも、美大予備校では、デザインをやるのはカッコ悪いという雰囲気があって……。

遠山 ああ、アートに対してデザインなんて、という感じですね。

平林 ええ、でも大学に入ってからも、やっぱりグラフィックが好きで、新聞社のデザイン賞に学生の分際で応募したら、たまたま資生堂の課題で賞を獲ったんです。

遠山 それで卒業後に資生堂へ。資生堂では、新人デザイナーはみんな、「資生堂書体」と呼ばれる、独自のフォントを描く練習をすると聞きました。

平林 当時はコンピューターではなくて手書きで、新人は1年間、それを描き続けます。でも私の上司はイケてる人で、「1つ描いたらあとはそれを壁に貼って見てればいい。せっかく銀座にいるんだから、映画を観たり買い物をしなさい」と言うので、言われた通りにしていたんです。

遠山 へえ! 平林さんは、女性もののキラキラしたデザインが苦手で、男性化粧品の仕事を希望されたとか。

平林 そうですね。そういったものをやっているうちに、新しく立ち上げる若い女性向けのコスメラインの仕事をすることになりました。「FSP(フリーソウルピカデリー)」です。資生堂ではパッケージ、広告、店舗のデザインはすべて別の部署で行っているんです。でも、アートディレクターは本来、商品開発からすべてを見るものですから、「FSP」に関しては、すべて一貫してデザインさせてもらえるように一生懸命、社内で根回しをしたんです。

遠山 根回しがうまくいって、「FSP」でブランディングを初めてやって。

平林 その仕事で国内外のいろんな賞をいただいたんですが、それと同時に社内に仕事がなくなって……。

遠山 それで、社外の仕事を受けるようになったんですね。

平林 ええ、会社はそういうことに寛容だったので。そうはいってもすぐに独立するのではなく、資生堂で頑張ろうと思っていたんですが、資生堂は新卒で入って定年まで勤める人がほとんどで、独自の決まりの多い会社なんです。それがあまりよくないと思い、別の会社で働きたいと会社にお願いして、イギリスに1年間、行かせてもらいました。

<次のページ> 雑誌「GINZA」の仕事を引き受けた条件とは?

2013.12.04(水)