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残り1つの凍結卵子での妊娠

 こうして、幼稚園の先生にはなれなかったけれど、看護師として病気の子どもたちのお世話ができることになりました。病院の小児外科で働いているときは楽しかったです。患者さんの大半は6歳以下の幼い子どもたちですから、子ども好きの私は毎日患者さんのお世話をすることがやはり性に合っていたのです。

 それから私なりにキャリアは積んでいきました。命と向き合う職場はいろいろ考えること、学ぶことが多く、やりがいがありました。ただ、私生活においては恋をしても結婚には至らず、気持ちが弱っているところに素行の悪いドクターに言い寄られ……。何だか何もかもうまくいかないような気がして、命の尊さを十分に知ったはずの私なのに、もう母の葬式さえ出してあげられれば私はどうなってもいいやと投げやりになった時期がありました。

 助産師の友人から日本でも卵子の凍結保存ができると聞いたのは、ちょうどそのころです。すぐにでも凍結しようと思ったのには、そうだ、私は子ども好きだったのだと思い出したということもありますが、子どもがいれば生きがいができる、投げやりな自分に決別できるに違いないという期待も大きかったのです。

 そのとき、私は35歳。妊孕性(妊娠のしやすさ)がどんどん落ち始める時期です。そこからの私の人生は、常に「妊活」を最優先に生きてきたと言っても過言ではありません。せっせとお金を貯めては、何度も卵子を採取する手術を受ける。それは、少しでも妊娠する可能性を高くするために、なるべくたくさんの卵子を凍結保存しておこうと考えたのです。

 それには頻繁に通院する必要があり、しかし、卵子の凍結保存を実施しているクリニックは数が限られています。そのため、実施しているクリニックの近くにわざわざ転職し、ついにはクリニックの目の前のアパートに引っ越すということまでやってのけました。

 同時に、「婚活」も始めました。多くの伝手を頼り、結婚相談所にも通ってお見合いはもう何十回やったでしょうか。相手の方には出会うなり単刀直入に「私は卵子を凍結保存しています。結婚したら即、体外受精していただけますか」と尋ねました。すると、男性は一様に引きます。

 たった一人、引かない人がいました。その男性とお付き合いを重ね、結婚し、約束どおり体外受精に取り組みました。なかなか妊娠には至らず、凍結しておいた卵子も残り1つになったとき、ようやく妊娠できたのです。

たくさんの人の手で生まれた子

 2015年春、私は44歳にして母になることができました。生まれたのは2,534グラムの女の子。この子は産院のドクターや看護師だけでなく、卵子凍結や顕微授精をしてくれたドクターや看護師、胚培養士といったたくさんの人の手を借りて生まれてきた子です。間違いなく一人っ子になるけれど、これからもたくさんの人とかかわり合い、助け合い、いろいろな糸を組み合わせて美しい模様を織り上げていくような人生でありますように─そんな願いを込めて、名前には「絢」の字を入れました。

 「かわいいお孫さんですね」しばしばそう声をかけられたのですが、「はいはい」と笑顔で受け流しました。だってうれしくてしかたないのです。わが家が子どものいる三人家族になっただけでなく、娘を実家に連れていったとき、ふと気づくと、食事もバラバラにとっていた母と私と弟が娘を中心に同じテーブルにつき、声を上げて笑っている。憧れていた家族団らんの風景がそこにもあったのです。

 ところで、新聞では私の出産を健康な女性の凍結卵子による「国内初出産」ではなく「国内初確認」としていました。私が最も早く出産したのか、これは裏付けのしようがないからでしょう。というのは、国内における出産や体外受精の件数などについては日本産科婦人科学会が統計をとっていますが、特に凍結卵子を使っての出産だからといって届け出るというルールはないため、単なる体外受精による出産として届け出されます。ですから私の娘は、体外受精で生まれた5万1,000人のうちの一人です。ちなみに、この年は100万8,000人の新生児が誕生しているので、新生児の19.7人につき一人が体外受精によって誕生したことになります。翌年はさらに増えて、18人に1人という比率になりました。

 凍結卵子で生まれたのはいいが、ちゃんと育つのだろうか─そんな心配を言う人もいました。おかげさまで身長は95.6センチ、体重は14.2キロ、この年齢のほぼ平均値です。俊敏でおてんば、疲れるということを知りません。だから夜、眠りにつく寸前までおしゃべりに夢中です。

「ねえ、おかあさん、おかあさん」はあい、明日はお出かけしましょうね。絢ちゃんがおかあさんのもとに生まれてくるようにいつも応援してくれていた、おかあさんのお友だちに会いに行きましょう。おかげさまで絢ちゃんはこんなに元気で、こんなに大きくなりましたよって。

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※週刊文春WOMANより転載
※記事内の情報は週刊文春WOMAN 2019年創刊号発売時点のものです。

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2023.03.23(木)
文=小峰敦子