その生き様が日本人の心を撃ち抜いた

 翻って今この日本で、「弱き人を助けることは強く生まれた者の責務」だと考えている人はどれだけいるだろうか? フィクションと現実を混同するな、という声があるのは知っているが、優れたフィクションは現実と地続きだ。フィクションの中の出来事や言葉が、現実を生きる自分の中に入り込んで心を揺さぶることで感動が生まれる。

 格差が広がり、富める者がいる一方で貧困層が増えている。リーダーたる政治家たちは保身と身内への利益誘導にばかり懸命で、聞かれたことにまともに答えることさえない。そこへやってきたのが新型コロナウイルスの感染拡大だ。世論調査によると、コロナ後、生活が苦しくなっていると感じる人は全体の51%に及ぶ(朝日新聞デジタル 2020年12月29日)。その一方で内閣支持率は急落している(NHK選挙WEB)。

 かつての「一億総中流」が「一億総弱者」になりつつある現在の日本で、「弱き人」を守って戦い続けた煉獄杏寿郎の生き様が多くの人の心を撃ち抜いたのは示唆的だ。力を誇示する相手になびかずに自分の意思を貫く。弱い者から先に蹂躙しようとする相手に心からの嫌悪を示す。理不尽なまでに強い相手にも諦めずに立ち向かう。優しさを忘れない。

劇場で目を輝かせた子どもたちが……

 煉獄杏寿郎の姿をスクリーンで見て、自分もこうなりたい、と思った人もいれば、自分も彼のような存在に守られたい、と思った人もいるだろう。こんな人となら一緒に戦える、と思った人もいるかもしれない。もちろん、こんなのはただの絵空事だと思っている人もたくさんいるだろう。

 フィクションのキャラクターを現実のリーダーたちと比べるような真似をするつもりはない。人々のヒーローへの憧れの強さは現実でのヒーローの不在の裏返しだし、そもそもヒーローが導く世界というのもなんだか気持ち悪い。

 ただ一つ思うのは、劇場で目を輝かせて杏寿郎や炭治郎たちの活躍に見入っていた子どもたちが、彼らのような気持ちを持ってくれればいいと思うし、きっとそうなるんじゃないかと思っている。とても心強い。フィクションにはそれぐらい力があると信じている。

2021.01.18(月)
文=大山 くまお