額に稲妻の傷跡をもつ魔法使いの少年の物語『ハリー・ポッターと賢者の石』が英国で出版されたのは、1997年のこと。当時は無名の作家だったJ・K・ローリングによる初版わずか500部から始まったハリー・ポッター・シリーズ全7巻は、この20年間で世界80言語に翻訳され、総計販売部数4億5000万部以上という歴史的な数字を記録、映画も大ヒットを博しました。
子どもだけでなく、大人をも魅了したこの作品のマジカルな世界に浸れる、英国内のスポットを巡る旅へとご案内しましょう。
美しい世界遺産の街
スコットランドの首都エディンバラ
マンチェスターからロンドンに行く電車のなかで、ふいに頭に浮かんだ魔法使いの少年の物語、ハリー・ポッターの最初の2作品の多くを、J・K・ローリングはスコットランドの首都エディンバラで執筆しました。
ポルトガルで英語教師として働いているときに出会ったポルトガル人の夫との結婚生活に破れ、幼い娘を連れて妹夫婦の住むエディンバラに移住。国からの手当を受けながらの貧しい生活のなかで、彼女が後に世界のベストセラーとなるこの本を書いたことは、あまりに有名な話です。
娘をベビーカーに乗せ、ローリングは頻繁に街を散歩してはカフェに向かったといいます。ユネスコの世界遺産にも登録されている景観の美しい街、エディンバラに散らばった、物語の断片やゆかりのスポットをたどっていきましょう。
まずは、ダイアゴン横丁のインスピレーションとなったといわれるヴィクトリア・ストリートへ。石畳の坂道沿いにカラフルなショップが並ぶこの道には、ダイアゴン横丁と同じように、いたずら用品を扱うショップも存在しています。
右:ストリート・ミュージシャンは、30分交代なので、出番待ちのバグパイプ奏者のこんな姿も。
Victoria Street
(ヴィクトリア・ストリート)
所在地 Edinburgh EH1 2HG
そして、ローリングの散歩ルートだったという墓地、グレイフライアーズ・カークヤード。ここは、エディンバラの忠犬ハチ公、ボビーの墓があることでも有名です。ボビーは、19世紀にエディンバラ市警で働いていたジョン・グレイの愛犬で、グレイの死後14年間にわたり飼い主の墓から離れることはなかったというスカイ・テリア。
屋敷しもべ妖精のドビーの名前の語源は、このボビー? という疑問もわき上がってきますが、それはさておき、この墓地には、ほかにもハリポタ登場人物の名前の元になったのでは? と思われる墓石がいくつもあるのです。
右:墓地には、ハリポタ・ワールドを感じさせるモチーフがちりばめられています。
右:墓地の近くに、ボビーの銅像もあります。鼻周辺が変色しているのは、ボビーの鼻を触るとラッキーなことがあるという出所不明の噂が流れたためだそう。
ウィリアム・マクゴナガルは、「スコットランド最悪の詩人」といわれているそうで、お気の毒なことに墓石にも「Poor Poet」と書かれています。ミネルバ・マクゴナガルの名前はここからきたのでは、と想像されます。
ちなみに、ミネルバ・マクゴナガルのモデルになったといわれているのが、スコットランド人女性作家ミュリエル・スパークの著書『ミス・ブロウディの青春』の主人公ジーン・ブロウディ。こちらも、ハリポタ映画のマクゴナガル役の女優マギー・スミスが若き日に演じ、この役でアカデミー賞主演女優賞を獲得しています。
右:エリザベス・ムーディーと書かれた墓石も。
さらにマッド・アイ・ムーディーを思わせる、エリザベス・ムーディーと書かれた墓石。そして、なんといってもトマス・リドルの墓石があるのには驚きです。
リドルの綴りが小説と若干違うのは、「TOM MARVOLO RIDDLE」と「I AM LORD VOLDEMORT」のアナグラムを成立させるためだったのかもしれません。この1806年に亡くなった実在のトム・リドルさんのお墓には、特にハリポタ・ファンが多く訪れて写真を撮っていくそうです。
この墓地の裏手にある私立学校ジョージ・ヘリオット・スクールは、まるでホグワーツ城のような塔がそびえる校舎。さらに、この学校の生徒は全員、4つの「ハウス」のどれかに属するシステムというのも、ホグワーツ魔法魔術学校を思わせます。
Greyfriars Kirkyard
(グレイフライアーズ・カークヤード)
所在地 Greyfriars Place, Edinburgh EH1 2QQ
2018.01.13(土)
文・撮影=安田和代(KRess Europe)