CREA Traveller 2024 Vol.3の表紙を飾るのはプロチダ島の美しいパノラマ。イモトアヤコさんはどこにも隠れていないので、「世界の果てまでイッテQ!」のファンのみなさんは安心してください。 麻布台にある「伊太利亜亭」と浅草にある「伊太利亜のじぇらぁとや」。本来は片仮名で表記されるイタリアを漢字化し、こちらもまた本来片仮名で表記されるカフェテラスやジェラートは平仮名化している。 麻布台にある「伊太利亜亭」と浅草にある「伊太利亜のじぇらぁとや」。本来は片仮名で表記されるイタリアを漢字化し、こちらもまた本来片仮名で表記されるカフェテラスやジェラートは平仮名化している。 JR沼津駅北口にある「伊太楼」。南口の「ボルカノ」と並び、沼津あんかけスパの歴史を紡いできた名店。 レバー、椎茸、玉ねぎをのせた、伊太楼の「カルーソ」1,100円 オペラ史上に残るテノール歌手、エンリコ・カルーソーが、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場の近くにあったレストランでこのパスタのルーツとなる一皿を頻繁に食したことから、この名がつけられたという。 1960年にリリースされた「潮来笠」は、売上120万枚の大ヒットを記録。なお、最初にこの曲名を目にした橋は、「しおくるがさ」って何だろうと思ったそうである。確かに潮来(いたこ)はなかなかの難読地名である。筆者は子どもの頃、この歌の舞台は恐山だろうかと勘違いしていた。 左:D.D.サウンドのアルバム『1-2-3-4 ギミー・サム・モア』。ラ・ビオンダという姓の兄弟によるプロジェクトである。表題曲は日本でもヒット。このアルバムにも収録された「カフェ」は、東京パフォーマンスドール時代の篠原涼子がカバーしていたりする。 右:マッチョのアルバム『アイム・ア・マン』は、とにかく何かに急き立てられるかのごとく全編がエモーショナルだ。表題曲は、スペンサー・デイヴィス・グループの名曲をイタロ色に染め上げた名カバー。ユニット名とジャケットから伝わってくる通り、「Y.M.C.A.」でお馴染みのヴィレッジ・ピープルにも通ずるセンスを感じる。 三橋美智也「Mitchie Fever」。プロデュースを手がけたのは、テリーこと寺内タケシ。マルちゃん「激めん」のCMでは、この白いスーツ姿で「激れ! 激れ!」と叫んでいた。ミッチーは民謡三橋流の家元でもあり、細川たかしは、その弟子としては「三橋美智貴」を名乗っている。 橋幸夫「股旅’78」。近田春夫は、このシングルのリリース当時、「POPEYE」の連載コラムにおいて、その衝撃がいかほどのものであったかを詳述している。 CREA Traveller的観点からおすすめしたいピンク・レディーのアルバムが『ピンク・レディーの不思議な旅』。全曲の作詞を手がけた阿久悠の異能が大爆発している。ブラジル、フランス、アメリカ、エジプトなど、世界一周しながら恋をする女性の成長を描くコンセプトアルバムだ。ここに収録されたヴァージョンの「波乗りパイレーツ」は、ビーチ・ボーイズのブルース・ジョンストンがプロデュースを行い、ブライアン・ウィルソンらがコーラスに名を連ねている。 フジテレビ系にて72年に放送された「木枯し紋次郎」の主題歌「だれかが風の中で」。上条恒彦が歌うこの曲は、市川崑の妻である脚本家、和田夏十が作詞を手がけ、フォークシンガーの小室等が作曲を行っている。 インクレディブル・ボンゴ・バンドが73年にリリースしたアルバム『ボンゴ・ロック』。「アパッチ」は、ここに収録されている。インクレディブル・ボンゴ・バンドは、ボンゴやコンガによってリズム面に極端なブーストを施し、それが、後世のミュージシャンからの評価を受けることになる。パリパラリンピックの閉会式におけるブレイキンのパフォーマンスでも、BGMに使われていた。 ヒップホップのパイオニアたるアフリカ・バンバータといえば、クラフトワークの「ヨーロッパ特急」をサンプリングした「プラネット・ロック」が有名であるが、ここは、ジャケットのインパクトを優先して、ジェームズ・ブラウンとコラボレーションを行ったシングル「ユニティ」を挙げておこう。ちなみに俺は、四半世紀前、友人が関わっていた「TV Bros.」の取材現場に呼ばれ、当時まだシーモネーターと名乗っていたSEAMOと山本晋也監督がこのジャケットのポーズで2ショットを撮るところに立ち会ったことがある。 ロマンポルシェ。の掟ポルシェが弊社こと文藝春秋より02年に上梓した奇書『説教番長 どなりつけハンター』。ここでも日本刀を構えている。うっすら察しつつある方も多いかと存じますが、私が編集に携わっております。ちなみに、装丁はグルーヴィジョンズ。 チャン・ギハと顔たちが09年に発表したファーストアルバム『何事もなく暮らす』。3曲目の「オヌルド ムサヒ (今日も無事に)」は、「アパッチ」的な雰囲気に満ちた名曲。残念ながら18年に解散してしまったが、そのキャリアの途中からは、日本人ギタリストの長谷川陽平が正式メンバーとして加入した。俳優、竜雷太の息子である。 ケレン味に溢れた『密輸 1970』は、海女映画史上において、白都真理主演の『人魚伝説』と並ぶ傑作と評したい。個人的には、今年の韓国映画は本作と『ソウルの春』が2トップ。 橋幸夫は、いわゆる企画物にも理解がある。2009年にリリースされた「ゆるキャラ音頭」の作詞は、もちろん、みうらじゅん先生。作曲は、我が国におけるドラムンベースのパイオニアであるDr. YSことサワサキヨシヒロ。なぜこの曲のコンポーザーとして招かれたのかといえば、サワサキ氏は、以前、みうらじゅん事務所でマネージャーを務めていたことがあるからである。 作詞の橋本淳、作曲の筒美京平作曲といえば、いしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」、平山三紀「真夏の出来事」、オックス「ダンシング・セブンティーン」などを手がけた盟友コンビ。この2人による橋幸夫のシングルとしては、「俺たちの花」以外に、「京都・神戸・銀座」「東京-パリ」がある。 2021年の師走、歌手・橋幸夫の花道を飾るラストシングルとして発売された「この道を真っすぐに」。数年後にUターンしてくるとは予想もしなかった。そういや、フランク・シナトラも、「マイ・ウェイ」をリリースした後の71年に引退したが、2年後には復帰した。大物が「道」を歌う時は警戒が必要なのかもしれない。 二代目橋幸夫yH2のデビューシングル「恋のメキシカン・ロック」。初代橋幸夫が60年代に切り開いたリズム歌謡というジャンルを代表する名曲のカバーである。ジャケットに写る3人のうち、後ろの2人は夢グループの社員だという。しかし、yH2という字面を目にすると、脳内に「想い出がいっぱい」が鳴り響くバグが生じますね。 ジェイムズ・P・ホーガン『星を継ぐもの』(創元SF文庫)は、衝撃のどんでん返しで有名。近年、星野之宣が漫画化したコミックスも刊行されている。日本では不朽の名作として扱われているが、英米ではさほど知られていないというから、ちょっと意外だ。 加地秀基(現カジヒデキ)がベーシストを務めていたバンド、ブリッジのセカンドアルバム『PREPPY KICKS』は94年7月リリース。俺は、マリメッコのワンピを着ていた女子に「カジ君のCDを貸してあげる」と言って「恨み節」「修羅の花」などが収められた梶芽衣子のベスト盤を差し出したところ、それ以来疎遠になったこともあった。人生はいろいろある。 『伊丹十三です。みんなでカンツォーネを聴きながらスパゲッティを食べよう。』は、「ルパン三世」でお馴染みの大野雄二とそのグループが奏でるエレガントかつグルーヴィーなサウンドをバックに、伊丹十三がスパゲティに関する蘊蓄を傾けるアルバム。各種サブスクリプションでも配信中。