異教徒が共存した奇跡の街、12世紀のパレルモ

 ノルマン・シチリア王国の宮廷では、前支配者であるアラブ人やギリシャ人も活躍の場を与えられました。ルッジェーロ2世は、その政治手腕のみならず、学術や芸術面への造詣が深く、数学、地理、占星術など様々な分野で優れた異国人学者を集めると同時に、芸術家・職人たちも重用。現在見られる見事なモザイク装飾を完成させたのです。

1174年建設開始、総面積約6000平方メートルの壮大なモザイクが飾るモンレアーレの大聖堂内部。
モンレアーレの大聖堂裏手にあるキオストロ(回廊)。中庭を囲む228本の柱には、すべて異なる模様のモザイクがはめ込まれている。

 アラビア語、ギリシャ語、ラテン語が公用語とされ、貴重なアラビア語・ギリシャ語文献がラテン語に翻訳されるなど、東西文化交流の拠点ともなっていたパレルモには、ヨーロッパの多くの知識人が訪れたといいます。

豪華絢爛な黄金モザイクに圧倒される! ノルマン王宮内にある1140年創建のパラティーナ礼拝堂。
左:礼拝堂の壁面上部には、聖書を題材にしたビザンチン・モザイク。下部や床面はイスラム風の幾何学モザイクが飾る。
右:礼拝堂の天井は、イスラムの典型的な木製の鍾乳洞装飾で、細部にはコーランが記した楽園が描かれている。

 そんな文化的で自由で合理的な社会が築き上げられたノルマン・シチリア王国は、ルッジェーロ2世の孫であり、のちに「王座にある最初の近代人」と称された、フェデリコ2世を生み出し、そして、その後継者となったマンフレディ王の時代、1266年に幕を閉じます。

 フランス、スペインと支配国が移り変わる間、シチリアの中心都市であり続けたパレルモには、バロック様式や新古典様式などの新しい建築様式がもたらされはしましたが、この街が栄光と繁栄に満ちていた12世紀の遺構は、約900年の時を経た今もなお、そのままの姿で当時の輝きを伝えています。

左:初代王ルッジェーロ2世によって建てられたチェファルーの大聖堂。
右:サン・ジョバンニ・デッリ・エレミーティ教会に残された12世紀の壁画。

 現在も現役のキリスト教の教会として機能する、王宮の礼拝堂やマルトラーナ教会、モンレアーレの大聖堂。その内部は、イスラム風の幾何学模様と黄金のビザンチン・モザイクが同時に飾られる摩訶不思議な光景が広がっています。異教徒同士の争いが絶えない人類の歴史のなかで、本当に起きた奇跡のような文化融合。いつかパレルモを訪れる機会があったなら、このミラクルをぜひその目で確かめてください!

「パレルモのアラブ・ノルマン様式の建造物群およびチェファルー大聖堂、モンレアーレ大聖堂」
(1) Palazzo Reale/Cappella Palatina:王宮/パラティーナ礼拝堂
(2) Chiesa di San Giovanni degli Eremiti:サン・ジョバンニ・デッリ・エレミーティ教会
(3) Chiesa di Santa Maria dell’Ammiraglio(Chiesa della Martorana):サンタ・マリア・デッランミラリオ教会(マルトラーナ教会)
(4) Chiesa di San Cataldo:サン・カタルド教会
(5) Cattedrale di Palermo:パレルモ大聖堂
(6) Castello della Zisa:ジーザ宮殿
(7) Ponte dell’Ammiraglio:アンミラリオ橋
(8) Complesso Monumentale di Cefalù: Cattedrale e Chiostro:チェファルーの大聖堂とキオストロ
(9) Complesso Monumentale di Monreale: Cattedrale e Chiostro:モンレアーレの大聖堂とキオストロ

岩田デノーラ砂和子
2001年よりイタリア在住。約10年間のローマ生活を経て、現在は憧れだったシチリアの州都パレルモ在住。イタリア専門コーディネート・通訳チームBuonprogetto主宰。イタリア関連著書多数。近著『おしゃべりのイタリア語』が絶賛発売中。イケメン犬「ボン先輩」と、やらかし系イタリア人の夫「ピンキー」との日々を綴る人気ブログ:ローマの平日シチリア便りもほぼ毎日更新中。

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文・撮影=岩田デノーラ砂和子