長い歴史を誇る皇室では、三種の神器をはじめとする御由緒物や、古色蒼然たる宮中祭祀など、千年以上もの間、連綿と受け継がれてきました。

 それは、現代の雅子さまと愛子さまのファッション・アイテムを見ても、皇室の歴史との繋がりを感じさせます。


雅子さまがイギリスの晩さん会で着けられたティアラ

 2024年は、天皇ご一家は長女の愛子さまが就職し、本格的に公務に取り組まれるようになったこともあり、お姿を目にする機会が格段に増えました。

 この一年を振り返ると、皇后雅子さまが最も華やかな装いに身を包んでいらっしゃったのは、国賓として陛下と公式に訪問された、イギリスでの晩さん会だと思います。

 雅子さまはレース生地を使ったエレガントなドレスをお召しになり、頭上には菊の模様があしらわれたティアラを着けていらっしゃいました。

 雅子さまがこのティアラを着けられたのは、初めてではないかと思います。

 これまで即位に関する行事で雅子さまが着用していらっしゃったのは、このティアラとは別の、中央に大きなダイヤモンドを配した「皇后の第一ティアラ」と呼ばれるものでした。

 そもそも、ティアラは重要な儀式などで正装する時に着用するもの。

 「皇后の第一ティアラ」は、明治天皇の后である昭憲皇太后が、宮中で最も格が高い女性の礼服である大礼服に合わせて発注したもので、その後、大正、昭和、平成、令和の皇后陛下へと受け継がれてきました。

 このティアラは、ドイツの金工師レオンハードおよびフィーゲルの二氏に命じて製作されました。王冠にはブリリアント型のダイヤモンド60個が配され、その中心には21カラットのダイヤモンドが燦然と輝いています。

 このティアラを含めた装飾品の値段は、今の貨幣価値にすると億単位の金額になるとか。

 昭憲皇太后がこのティアラを着けられた写真を見ると、王冠の先端にいくつも星形の飾りが据えられており、雅子さまが身に着けていらっしゃったものとは、デザインが違うように見えます。

 昭和天皇の后である香淳皇后の写真では、星型の飾りがあるティアラもあれば、ないものもあることから、この星型の飾りは取り外しができるようになっているようです。

 冒頭で触れた、雅子さまがイギリスでの晩さん会で着けていらっしゃった菊の模様のティアラは、「皇后の第二ティアラ」と呼ばれ、大正天皇の后である貞明皇后の時に製作されて、昭和、平成、令和の皇后陛下へと受け継がれてきました。

 なぜこの時に雅子さまは第二ティアラを着けられたのかを考えると、隣に並んで同じくティアラを着用していたカミラ王妃を、引き立てようと配慮されたのではないでしょうか。

愛子さまのティアラは…

 ティアラは皇室の行事などに出席する際に身に着ける、女性皇族の必須アイテムとされ、成年になる時などに製作されてきました。

 しかし、愛子さまは20歳になる時にコロナ禍であったため、苦境にある国民生活を慮って新調せず、叔母の黒田清子さんからティアラをお借りになりました。

 2024年の新年祝賀の儀でも、愛子さまはお借りになったティアラを身に着けられ、そこには国民と苦楽を共にするというお気持ちが表れていると思います。

2025.01.02(木)
文=つげのり子