アルバイトで生計を立てながら、事務所からいただく仕事をして、また休みの日にアルバイト。そんな生活だったので、精神的に不安定だったというのもあります。お芝居の仕事はしているけど、自分の進みたい方向ではない。複雑な状況でしたね。

 

「今日もうまくいかなかった」のくり返し

――周囲と衝突することもあった、と過去のインタビューにはあります。

瀧内 いま思えばですけど、社会へのいら立ちだったんでしょうね。映画作りは集団作業ですけど、集団にうまく馴染めないところがあって、大人たちに反発していた。無知な自分へのいら立ちもあったんだと思います。反発するくせに技術は未熟だから、求めに応えられない歯がゆさがあって。

 自分のやっている仕事には価値がないとずっと思いつづけていました。プロって、お金をもらうわけですよね。でも大人数に囲まれているから、現場の反応でわかるんです。これではお金をもらえないなって。「今日はうまくいかなかった」「今日もうまくいかなかった」のくり返しで、このまま続けていっても駄目だなと思っていました。

――それで富山に帰ろうかと悩んだりして。

瀧内 呼吸がしづらくなる感覚があったんですよね。だから一時期は実家に帰りたいと思ったこともありました。

「自分はもっとできる、もっといける」と

――そのころいちばんつらかったのはどんなことですか?

瀧内 仕事がないことがつらかったです。オーディションに行っても、そのたびに落ちていたので。私は自分の肉体を通じて、実感として理解していくことが多いんですね。想像力では補えない部分があって。でも現場がないということは、その発見もない。その感覚を持てなかったのがきつかったです。

――それでも演技の仕事をあきらめなかった、その理由はなんですか?

瀧内 お芝居をしたいという気持ちと、なんの確証もない自信(笑)。自分はもっとできる、もっといけると思っていました。若気の至りかもしれませんけど。

2024.08.12(月)
文=門間雄介