なんとも言えぬ滑稽さは国宝絵巻『鳥獣人物戯画』を思い起こさせた。それ以来、私は猿(動物)の日常に潜む知られざる姿を意識するようになり、それを作品化することに心血を注いでいる。「鳥獣猿戯画(ちょうじゅうえんぎが)」とでも言ったところか。
“知られざる姿”というのはそう頻繁に拝めるものではなく忍耐を強いられる。屋久島では、そうした瞬間の到来に意識を向けながらも、壮大な自然環境の中で“屋久島らしい写真”を撮ることに邁進した。
島に生息するもう一種の大型動物と鉢合わせ…いよいよその時が訪れる
もうひとつ、屋久島での撮影で私が楽しみにしているのがヤクシカの存在だ。
森の中で暮らすヤクザルとヤクシカの生息域にはところどころ重なりが見られ、鹿のまわりで猿の群れがくつろいでいたり、木にのぼって食事する猿のおこぼれを狙って下に鹿がやってくるような光景を日常的に目にすることができる。
しかし、この時はなぜかヤクシカを見かけることがほとんどなく、1週間の滞在でまともに会えたのは10頭未満、唯一目にしたヤクザルとの接触が、冒頭で紹介した“ロデオ”だった。
その光景と遭遇したのは島を去る前日の夕方、薄暗い森の中で一頭の雄鹿と鉢合わせたのが始まりだった。雄鹿もこちらに気づいていたが動揺する様子はなく、足もとに生えたきのこを食べ始めた。
しばらくして鹿の背後で素早く動くものが視界に入った。視線がそこに追いついた時、目に飛び込んできたのは、私の追い求めている「鳥獣猿戯画」の世界だった。
とめどなく沸き起こる感情をどうにか落ち着かせ、対峙する動物たちに警戒心を抱かせぬよう細心の注意を払いながら、ゆっくりカメラを構える。シャッターを切りながら経験したことのない感覚が全身を包んだ。ヤクシカとヤクザル、それに私だけが存在する不思議な世界……。短いようで長く、長いようで短い奇妙なひとときだった。
幻想に引けを取らない動物たちの日常
翌日、早朝の西部林道でヤクザルとヤクシカに別れを告げ、前日の忘れがたい出来事に思いを馳せながら屋久島を離れた。
後日知ったことだが、実は鳥獣人物戯画の中にも猿が鹿に乗る描写があるらしい。動物たちの日常には、ときに幻想に勝るとも劣らない姿が隠されている。一度その世界にふれる喜びを味わうと、私たちはもうあとへは引き返せない。
2023.11.24(金)
文=大島淳之