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「タナカカツキさんにアドバイスを受け、目標を100個書き出した」

――そして2021年1月、初めてのプロデュース作品『直ちゃんは小学三年生』が放送されました。当初はあまり考えていなかったとおっしゃっていましたが、自分で企画を出して作ろうという思いはどこから生まれてきたんでしょう。

 『サ道』の原作者であるタナカカツキさんのアトリエによく遊びに行っていた時期があって。どんな話の流れだったかさっぱり覚えてないですけど、あるときカツキさんに「人を幸せにしないと自分は幸せになれないよ」と言われたんです。正直まったく意味がわからなくて「はぁ……」みたいな反応をしていたら、「人を幸せにすることを最終的な目標としたときに、そこに向かって自分ができる細かい目標を100個書き出してみて」と言われて。

――100個!

 100個書き出しているとだんだん書くことがなくなってきて無理くり絞り出すようになるんですけど、その作業の中で「こういう企画をやりたい」という目標が出てきました。それで自分の頭が整理されたんですよね。「そうか、私は人を幸せにしなくちゃいけないんだ。じゃあこういう作品をつくりたいな」と考えるようになりました。

――目標を立てて突き進むタイプではないがゆえに、100個も絞り出すと新鮮な発見がありそうですね。

 そうなんです。今考えるとカツキさんはそれをわかっていて「こうやれ」って教えてくれたんだと思います。

――自分がプロデューサーとしてゼロからドラマをつくることに対して、現実味はありました?

 それも何も考えずに「やっちゃえ」みたいな感じだったんだと思います。周囲では「なんだこいつ」と思っていた人のほうが多かったんじゃないかな(笑)。

――その時点で、漠然とでも「こういうことをやりたい」と温めていたものはあったんでしょうか。

 この仕事をしていると、芸能事務所の方から「うちの子主演で何か作品をつくれないか」と相談される機会って結構多いんです。この時期にそういう提案をいくつか受けて「この人ならこういう企画かな」と考えることがあったりして、なんとなく企画を考える流れが来ていたんだと思います。

 大人が小学生を演じるドラマというのは近藤(啓介)監督と二人で話していて出てきた中のひとつで、これがいちばん面白いなと感じていました。コロナ禍に突入して世の中が荒れ始めていて、それを見て「子どもの純粋さみたいな部分を私たちは忘れているんじゃないか」みたいな気分になっていたんだと思います。揉めたり喧嘩したりしても子ども同士は「ごめん」って謝って解決できるじゃないですか。あれが美しいなと思ってて。

――ドラマの企画は社内外から募集して多数の候補から選ばれることが多いと聞きますが、『直ちゃん』もそういう経緯で決まったんですか?

 そのクールはギリギリの時期まで1枠余っていて「何かやれるものはないか」ってなってたんです。以前に部内のプロデューサーに『直ちゃん』の企画を相談したことがあって、「そういえば、あれは?」って。

 進めてみたら杉野(遥亮)くんのスケジュールがたまたまそこだけ空いていて、トントン拍子に決まっていきました。なんか、そういうフェーズだったんでしょうね。決まるときってきれいにハマっていくんですよ。そういう奇跡って起きるんだなと思いました。

――『直ちゃん』は小学生の“あるある”が詰まったコメディでありながら、ジェンダーバイアスや経済格差など今日的なトピックが各話に織り込まれていて見ごたえがありました。ああいった構成にすることは最初から決めていたんですか?

 構成を決める段階で1話目はこれ、2話目はこれ……と社会問題などに紐づいたテーマを決めて、そこにエピソードを入れていくような作り方だったので、私が伝えたい核の部分は最初から決まっていたかなと思います。

――結果、第58回ギャラクシー賞テレビ部門奨励賞を受賞されました。

 みんなはまさかギャラクシー賞を獲ると思っていなかったみたいで結構びっくりされました(笑)。どういうものをつくりたいのか、私の書き方が悪くて企画書の段階で誰も想像できてなかったんだと思います。だけど自分の頭の中には明確に存在していたし、根拠のない自信があったので、私自身はそんなに驚かなかったです。

2023.09.21(木)
文=斎藤 岬
写真=平松市聖