“染みついた経年の味わい”をそのまま楽しむ

 十二月のとある日の開店時刻。扉が開き、並んでいた数名のお客さまが招き入れられた。

 小さな空間に午前の光が射して、古いテーブルや椅子をところどころ薄金色に浮かび上がらせている。置かれているのは入念に選ばれた美しいものばかりだ。滑車から下がるランプ。古い麦わら帽子。鏡。ゼンマイと歯車。この空間以外で出会ったら見過ごしてしまいそうな、用途不明の不思議なものたち。

 古物の小宇宙を堪能した後で、壁をよくよく見て気がついた。この合板は、それにあのメラミン化粧板のカウンターは……失礼ながら昭和の安普請(やすぶしん)の食堂のような……?

 「そうなんです」と𠮷田さん夫妻は笑った。この家は戦前に建てられたもので、ある時期には増築部分がおでん屋さんとなり、それから十年ほど空き家になっていたそう。

「決していい素材ではないけれど、染みついた経年の味わいがあるのでできる限りそのままにしたいと思ったんです」

 およそ魅力に乏しいと思える元の素材に、二人はいったいどんな魔法をかけたのだろう?

「美しいと見えるか、ゴミと見えるかはその人のものさし次第。僕が古物が好きになった頃、大好きな古道具屋さんに行くたびに、まだ見えていなかったものにはっと気づかせてもらっていました」

 鍛え上げられた美のものさしと、「ただただ、お客さんが喜んでくれたら僕らも嬉しい、それだけです」という心、そしてその心の丁寧な届けかたが、世にも幸福な空間を生みだしたのだ。

 恭一さんは紅茶専門店、幾未さんはティールームで、それぞれ十年にわたって経験を重ねてきた。

 紅茶への造詣(ぞうけい)をいかしながら焙煎や抽出を独自に探究する恭一さんは、生活のなかでコーヒーを飲むシーンを想定し、理想の味わいを組み立てる。通販のコーヒー豆にも時間をかけて手書きの手紙を添え、受け取った人を感激させている。

 製菓と接客で活躍する幾未さんは、見ただけで嬉しくなるような素敵な笑顔の持ち主。

「いらした人に、いかに早く“歓迎されている”と感じていただけるかを大切にしています」と幾未さん。

 いまはマスクで表情がわかりにくいので、最初の「いらっしゃいませ」のひと声に意識を集中させるそう。

 粉雪が一瞬だけちらついた朝、思い立ってW&Hを訪れてみた。開店五分前、暗い窓の奥に小さなミモザ色の灯が灯っている。

 ふわりと、何か遠いものに憧れていた昔の感情や、もう存在しない大好きなカフェの記憶が浮かんできた。

 頭のどこかにある、これまでに体験した美しい瞬間をしまいこんだ箱。

 W&Hがその箱のふたをそっと開けてくれたのだ。

WIFE&HUSBAND

所在地 京都市北区小山下内河原町106-6
電話番号 075-201-7324
営業時間 10:00~17:00(L.O.16:30)
定休日 不定休
アクセス 地下鉄烏丸線「北大路」駅より徒歩4分
https://www.wifeandhusband.jp/

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コーヒー 550円
カフェオレ 600円
ケーキ 400円
トースト(バター) 350円
トースト(ハニーチーズ) 450円

『京都 古民家カフェ日和 古都の記憶を旅する43軒』

著:川口葉子 発行:世界文化社

京都の魅力あふれる古民家カフェへご案内。建物のかつての姿は、京町家、お茶屋さん、銭湯、旅館……築250年にもなる茅葺屋根家から、築50年の昭和住宅まで。過去と現在が交差する43軒の物語。

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