1作品に心震わすことが 美の旅の始まり

 例えば、現在開催中のロンドン・ナショナル・ギャラリー展。来日作品にティツィアーノの《ノリ・メ・タンゲレ》「私に触れるな」があるが、何の下調べもなく、この作品に心奪われる人は少なくないはず。

 キリストが復活後に初めて出会うマグダラのマリアに対し、自分に触れるのを阻止したという、聖書に登場する一場面が再現された作品には、キリストがもはやこの世のものでもあの世のものでもない境界線にいることが示された。身をよじるかに見えるのも、マリアを拒否しながらも受け入れたいという矛盾を示している。

 マグダラのマリアは聖母マリアと違って、娼婦性すら語られる生身の女性。だから、聖書が描く最も妖しく魅惑的な人物ともされ、多くの画家がこの場面を描き、マリア自身を描いている。

 この1枚から、マグダラのマリアに強烈に引き込まれ、宗教画に傾倒していく人もいるはず。すべてのマリアに会いに行く旅もあり得るのだ。

 そして同じ展覧会のポスターにもなったゴッホの《ひまわり》。

 心が最も充実し、多くの作品を残したアルルの時代に書かれたものだが、浮世絵に心酔したゴッホはこのアルルにこそ日本と同じ色彩があると信じていたとか。

 だからハッとした人もいるはずなのだ。この黄色、どこかで見た。ああ、歌川広重の《大はしあたけの夕立》を模写した橋の色だと。

 奇しくもこの後、日本三大浮世絵コレクション展も始まるが、そこで出会える歌川豊国《両画十二侯》の圧巻の美人画は、何だかボッティチェリのラ・プリマヴェーラを思わせ、豊国はそれを見ていたのだろうかと、そうした興味も湧いてくる。

 1作品に心震わすことが美の旅の始まりになることを思い知らされるのだろう。ただぐるりと美術館を1周回るだけではない、本当の心の旅を今こそ始めたいのだ。

 最低限の移動で最大限の感嘆を自らに与えてあげる絵画との出会い、まさにコロナルネサンスの筆頭にあげたいものなのである。

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展

会場 国立西洋美術館
会期 開催中~2020年10月18日(日)
電話番号 03-5777-8600(ハローダイヤル) 
開館時間 9:30~17:30(金・土曜 9:30~21:00)
※入館は閉館の30分前まで
料金 1,700円
休館日 月曜(7月13日、27日、8月10日、9月21日は開館)、9月23日(水)
https://artexhibition.jp/london2020
※日時指定制。詳細は展覧会公式ホームページでご確認ください


The UKIYO-E 2020 ― 日本三大浮世絵コレクション

会場 東京都美術館
会期 前期 2020年7月23日(木)~8月16日(日)、後期 8月18日(火)~9月13日(日)
※前後期で展示替え有り
電話番号 03-5777-8600(ハローダイヤル) 
開館時間 9:30~17:30
料金 1,600円ほか
休館日 8月17日(月)、24日(月)、9月7日(月)
https://ukiyoe2020.exhn.jp/
※チケット購入方法、開室時間などは最新情報をホームページでご確認ください

齋藤 薫(さいとう かおる)

美容ジャーナリスト、エッセイスト。女性誌で数多くの連載を持ち、化粧品の解説から開発、女性の生き方にまで及ぶあらゆる美を追求。エッセイに込められた指摘は的確で絶大なる定評がある。この連載では第1特集で取材した国の美について鋭い視点で語る。各国の美意識がいかに形成されたのか、旅する際のもうひとつの楽しみとして探っていく。

Column

齋藤薫の「美を紡ぐ旅」

齋藤薫さんは、女性誌で数多くの連載を持ち、化粧品の解説から開発、女性に生き方に及ぶあらゆる美を追求している。この連載では、CREA Travellerが特集において取材した国の美について鋭い視点で語っていく。

Text=Kaoru Saito