JR 紀勢本線紀伊田辺駅から歩いて15 分の高台に、南方熊楠が眠る「高山寺」はあった 階段を上った先には、ひときわ目を引く多宝塔が待ち構えていた 熊楠はここで存分に、粘菌(変形菌)や隠花植物の採集を行っていたという 寒さが緩むと境内は花であふれる 山門をくだると、目の前をゆっくりと会津川が流れていた 田辺湾に浮かぶ神島。 亜熱帯性の植物に恵まれたこの島は、熊楠にとってかけがえのない採集場所だった 熊楠の妻・松枝は鬪雞神社の宮司の娘で、鬪雞神社と熊楠の縁もまた分かち難いものとなった 鬪雞神社の書庫には古典籍が潤沢にあり、ある時は書物目当てに、またある時は植物の採集場所と して、熊楠は通った 和歌山にルーツを持ち、大学院では菌類の研究をしていた自分が書かずして誰が書く――その想 いがいま一冊の本になった 世界を見たいと19 歳で日本を出立。サンフランシスコからミシガン、フロリダ、そしてキューバ、 ニューヨークを経て最後はロンドンで8 年を過ごし、1900 年帰国。その後田辺に定住してからも この海の向こう、海外の学術誌に論文を送り続けた 熊楠が13 歳の時に自作した教科書「動物学」。序文からして「宇宙間諸体森羅万象 にして、これを見るにますます多く、これを求むればいよいよ蕃く、実に涯限あらざるな り」。中学生にしてこの意欲。「動物学」はこの後、第二稿、第三稿とアップグレードし たものまで作られている [南方熊楠顕彰館(田辺氏)所蔵] [南方熊楠顕彰館(田辺氏)所蔵] [南方熊楠顕彰館(田辺氏)所蔵] 熊楠が見ていた景色を想像する 南方熊楠顕彰館では、粘菌(変形菌)の観察が体験できる 数百種に及ぶ顕花植物が息づき、粘菌(変形菌)や地衣類を育む自宅の庭は、熊楠にとって実験場そのものだった 熊楠を手繰り寄せる旅のなかで、南方家とゆかりの深い橋本邦子さんからお話を聞くことができたのは 大変な僥倖だった。いまもこの町で暮らす橋本さんからは、南方家のことはもちろん、地元の文化や言葉などたくさんのことを教えていただいた もともと田辺藩士の屋敷だったここには土蔵があり、熊楠は25000 点以上の資料を収納していた 熊楠は、マッチ箱や石鹼の箱も標本箱として活用していた 南方熊楠顕彰館。ここには熊楠の蔵書約4000 点、標本やノートなどの資料がおよそ21000 点 保管されている 社殿の背後には仮庵山が控える。熊楠はこの山を「クラガリ山」と呼び、親しんだ