誰が細木数子をスターにしたのか?

 本作を鑑賞する私たちも、作中の出来事とは無関係ではありません。それは本作が、戦後からバブルの狂奔を経て、空虚な精神世界へと行き着いた「日本人の欲望の歴史」そのものを描いているからです。

 平成の時代、私たちは細木数子をテレビで楽しみ、その毒舌を消費していました。かつて彼女を「お茶の間のスター」に押し上げ、巨万の富を献上したのは、彼女に権威のお墨付きを与えたメディアだけではありません。他ならぬ「強く叱られたい、正解を教えてほしい」と願った、私たちの脆弱な精神ではなかったでしょうか。

 当時は今ほど価値観が多様化しておらず、社会全体に「こうあるべき」という強い正解を求める空気がありました。自分の人生を自分で決める不安から逃れるために、誰かに「地獄に堕ちる」と叱咤されたり、「こうしなさい」と断定されたりすることに、ある種の思考停止の心地よさを見出していたのかもしれません。

 占いにより、自分の人生という重荷を、彼女という強権的な他者に丸投げすることを選んだ。「地獄に堕ちる」という残酷な宣告は、皮肉にも「ここさえ直せば道は開ける」という、最も暴力的な形の「保証」として機能してしまいました。

 私たちは自ら首輪を差し出すように支配されることで、決断し失敗する恐怖から逃げようとしたのかもしれません。彼女が怪物であったことは事実ですが、その怪物を「救世主」に仕立て上げたのは、私たちの内なる「自立の放棄」というエネルギーです。画面越しに誰かが叱り飛ばされるのを見て、安堵し、快楽を得る。その共犯関係の果てに、多くの人々の人生が踏みにじられました。

 ドラマでは、「墓石ビジネス」にも触れ、占いが実際には構造的な搾取の入り口になっていたことまで克明に描かれています。ただ、その責任は彼女一人に帰するものではなく、彼女を熱狂的に消費し続けた私たちの中にも、確実に根を下ろしているのです。

 私たちは、本当に彼女の呪縛から解き放たれたのでしょうか。今もスマホの画面をスクロールし、誰かの断定にすがり、「正解」をくれる新しい誰かを探し続けてはいませんか? 物語に魅了され、自らを明け渡すその弱さこそが、今この瞬間も、次の「怪物」を産み出し続けているのです。そして私たちが自分の人生を自分の手で引き受ける勇気を持たない限り、私たちは永遠に、誰かの「地獄」の中に生き続けることになるのです。

 ちなみに、2006年放送の坂元裕二脚本ドラマ『トップキャスター』第3話では、「地獄に堕ちるわよ」を決め台詞にする占星術師が詐欺師だったというエピソード回(「恋愛運ゼロの逆襲」)がありました。この回は細木氏サイドの抗議により、現在はDVDや配信からも削除され、永久欠番となっています。

 当時のテレビ界がどれほど「占い師の権力」に屈していたかを証明する皮肉な事実ですが、同時にそれが放送まではされたということは、当時の制作陣が持っていた「テレビマンとしての矜持」も存在していたということ。その勇気が、今のドラマや映画における「社会的公正」への意識の種火になっていることを願ってやみません。

Netflixシリーズ「地獄に堕ちるわよ」

4月27日(月)よりNetflixにて世界独占配信