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 ジャズの巨匠たちのキャリア初期の音には、原石のような荒々しい輝きがある。巨匠たちの「青の時代」を、著者自身によるインタビューや自伝から紹介したのが、音楽ライターの神館和典氏の『ジャズ・ジャイアントたちの20代録音「青の時代」の音を聴く』だ。同書から、一部を抜粋して紹介する。

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「僕が聞いたのは、トニー・ウィリアムスとウェイン・ショーターとハービー・ハンコック、あるいはチック・コリアが一緒だったバンドだ。全員がまるで勝手に一人で演奏しているように聞こえたんだ。ひとつのバンドの中で一緒に演奏しているようには聞こえなかった。彼らは自分自身の音だけを聞いていたんだ。ぼくにはまさにエゴのぶつかり合いのように聞こえた」

 マイルス・デイヴィスの黄金時代といわれた時期の演奏について、ピアニストのキース・ジャレットは自著『キース・ジャレット インナービューズ―その内なる音楽世界を語る―』(キース・ジャレット著、山下邦彦訳、ティモシー・ヒル/山下邦彦編、太田出版。以下『インナービューズ』)で辛辣に語っている。キースは1945年、ペンシルベニア州アレンタウン出身。マイルスの黄金期のころ、20代前半だった。

「マイルスはそういうエゴとつきあう必要はないと思った。それでこのバンドを聞いた夜、ぼくは思ったんだ。“マイルスといっしょにしばらくの間仕事をする時がいつか来るだろう”って」(『インナービューズ』より)

 ボストンのバークリー音楽大学に通っていたキースは、コマーシャルの仕事ばかりしている自分に危機感を覚え、拠点をニューヨークに移した。

 ニューヨークでは7番街の南にある名門ジャズクラブ、ヴィレッジ・ヴァンガードに通い詰める。当時ヴァンガードでは連日ジャム・セッションが行われていた。そこで注目されようというねらいだった。

 しかし、よそ者はなかなかステージに上がることができなかった。それでもあきらめず3カ月通い、やっと演奏するチャンスをつかんだ。キースのその1回の演奏を聴いたアート・ブレイキーに雇われて、キースはザ・ジャズ・メッセンジャーズのピアノ奏者になった。

 しかし、一難去ってまた一難。アートのマネージャーがせこかった。約束した額のギャラを払わない。クレームを言っても、ごまかされる。そんなときに、テナー・サックス奏者のチャールズ・ロイドに誘われ、彼のバンドに移籍した。

 ボストンにいたころからキースはロイドと面識があった。クラブのバックヤードで何度か会話を交わしていた。しかし、当時のキースはまだ学生で、ロイドに雇ってもらうという発想がなかったのだ。しかし、ザ・ジャズ・メッセンジャーズで頭角を現したキースをロイドのほうが目をつけ、声をかけてきた。キースはロイドのバンドに移籍。そこには、後にマイルスのバンドや自分のトリオで長い付き合いになるジャック・デジョネットもいた。

2023.12.21(木)
文=神館和典