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「種明かしをしようか」

「宮谷さんのところへ打ち合わせに行くと、資料用に撮った東京の風景の写真をまとめたアルバムがあるから、その中から好きな風景を選んでほしい、と言われたんだ。そこでピンときたのが、S字カーブの長い坂ですれ違う路面電車の写真。『これはどこを走ってるの?』と聞くと、『王子だよ』と宮谷さん。荒川区の三ノ輪と北区の王子を結ぶ都電荒川線の写真だと言うんだ。

 王子はぼくの叔母がかつて住んでいた街だったし、幼少期に何度か遊びに行ったことがある。ただ、ぼくには少々馴染みがあっても、細野さんや大滝さん、茂とは関係がないし、ぼくらが活動の拠点としている渋谷界隈からも遠すぎる。『じゃあ、渋谷〜新橋を走っているように見えるよう、行き先を変えてもらえないかな』。ぼくが宮谷さんに注文したのはそれだけ。

 でも、ディテールにこだわった宮谷さんは、当時霞町交差点付近にあった建物をちょっとだけ描き足したんだと思う。宮城産婦人科の広告看板がある電柱とかね。それがあることで、『これは昔の霞町だ』とみんなが錯覚することになったんだ」

 現実は余りにも悪すぎる。例えば6番の路面電車は、とっくの昔に撤去されてしまったし、そこには幼いぼくの記憶を塗りつぶした、あの巨大な首都高速道路が傲慢な姿を風に晒しているのだから。
(ほら、あのビルがたってるあたりにぼくらの駄菓子屋があったんだ)
 都市で生まれ育った者たちなら、少なからず抱いているはずの故郷喪失の思いは、いつのまにか風街の像と二重写しになる。
(風街とは失われた街なのだ)
(風街とは風景の塗りつぶされてしまった下絵なのだ)
 だが、どこかに、この絵とそっくりに立ち止まったままの光景があってもおかしくないはずだ。それは大抵、地図帳や写真集のなかのヒトコマではなくて、きみの記憶のなかの、めくれあがった一ページだったりするのだが。――松本隆『風のくわるてつと』より

 2023年10月。松本さんは、飛鳥山公園と王子駅前の間の長い坂を上ったり下ったりすれ違ったりする都電荒川線の様子を長い時間見つめていた。まるで「記憶のなかの、めくれあがった一ページ」を確認するように。

 「松本さん、せっかくここまで来たんだから、乗ってみましょうよ」とわたしは言った。

「松本隆と歩くぼくの風街 #1」を読む
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松本隆(まつもと・たかし)

1970年にロックバンド「はっぴいえんど」のドラマー兼作詞家としてデビュー。解散後は専業作詞家に。手がけた作品は2,000曲以上にもおよぶ。

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2023.11.28(火)
文=辛島いづみ
撮影=平松市聖