しかし、今回は秋篠宮夫妻の参列となった。なぜなのだろうか。上皇が皇太子として戴冠式に参列したとき、象徴天皇の国事行為を代理する法律が存在していなかったため、天皇は海外を訪問することができなかった。戦前に秩父宮が戴冠式に参列したときは、やはり統治権の総攬者である天皇が海外を訪問することはそもそも想定されていなかった。しかし、現在は天皇も海外へ行くことができる。戴冠式に参列できるはずである。では今回はなぜ、天皇ではなく秋篠宮なのかという問題が残るのである。

 上皇がエリザベス女王の戴冠式に出席した際は、教育的効果という側面もあった。英語を勉強している皇太子に、実地訓練としての意味を込めて、海外を訪問させようとする意図があった。社交的な性格ではなかった皇太子に、人と接する機会を与え、今後に備えようとする意味もあった。日本国内で海外事情を学んでいた皇太子に、戴冠式だけではなく欧米各国を訪問させることで、これも実地で学ばせようとする意図もあった。いずれも、若い皇太子への教育として、戴冠式への参列が検討され、実行された。その意味では、すでにこうした側面は今回の秋篠宮の戴冠式への参列にはないように思われる。

 

秋篠宮ご夫妻の訪英に反対の声も

 こうした理由からだろうか。そして、小室眞子さんの結婚問題以来の秋篠宮家への逆風からなのだろうか。秋篠宮夫妻のイギリス訪問に反対する声がネットや週刊誌などで、正式発表される前から見られた。それでも今回、秋篠宮の差遣が決定された。

 そうした対応が取られたのは、これまでの秋篠宮の位置づけが関係しているのではないかと思われる。徳仁天皇は昭和天皇の時代から、将来の天皇として扱われた。各国王室との交流も、まさにそうした立場で積極的に展開された。しかし、弟の秋篠宮は必ずしも同じ扱いを受けたわけではなかった。同じ皇族として生まれても、チャールズ国王の次男であるハリー王子の言葉を借りるならば、弟はあくまで「スペア」であって、秋篠宮もまさにその扱いであった。

2023.05.18(木)
文=河西秀哉