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絶対に残したかったシーン

――ミステリー好きにとっては、刑事の本棚にスウェーデンのミステリー小説「刑事マルティン・ベック」があるのも気になります。

 私はこのシリーズが大好きなんですよ。主人公が心優しい刑事というのは、マルティン・ベックの影響があるんです。だからあの小説に敬意を示すために、見えるように置いたんです。ところが編集の段階で、エディターから『あのシーンはいらないのでは?』と言われてしまって。『いや、絶対に残す』と断固拒否しました(笑)。

――海外版の映画のポスターにも、刑事が住む部屋の壁紙にも、葛飾北斎の浮世絵(「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」)を思わせる波の絵が使われていますが、それはどういう意図でしょうか?

 映画にとって、ビジュアル・イメージはとても大切です。海や波のイメージに、北斎の有名な絵を思い出すのはよくわかります。ただ、私が当初、波のイメージを描こうとした時、全く北斎のことは考えてもいなかったんですよ。

――ブルーとグリーン、そしてターコイズ(トルコ石色)という色も、多用されていますね。

 山と海という二つの世界が映画の舞台です。山と海は近くにあるけれど、全く違う。山の色が海に映るのに、海の色は青かったり、グリーンだったりする。それは天気や太陽の光で違って見えるわけですが、山の色そのものも変化をする。

 これは登場人物も同じです。ある人物をこんな人だと思っていても、時によって、全く違う人物に見えたりもする。本当のところ、その人がどんな人物なのかというのは、誰もわからないのです。それを色の変化で表現したいと思いました。ブルーのドレスが、ターコイズに見えたり、グリーンに見えたりする。セリフにも出てきますが、あのドレスの色を先に決めたんです。

――二人の関係は、どこかアルフレッド・ヒッチコックの『めまい』や、登山中の事件という点では増村保造の『妻は、告白する』を思わせます。

 どちらも私の好きな映画です。皆さんそこを指摘されますが、私としてはむしろ、『氷の微笑』(監督ポール・ヴァーホーヴェン)との共通点を指摘されるんじゃないかなと考えていました。あれこそ容疑者と恋に落ちる刑事の話ですし、『氷の微笑』は非常に優れた映画ですから。とは言え、映画を撮る前に見直したりはしませんでした。

 さらにいえば、ミケランジェロ・アントニオーニやルキノ・ヴィスコンティも、この映画の基盤にありました。もちろんヒッチコックから私が強い影響を受けているのは確かですし、結局私はたくさんの映画から影響を受けていると思います。文学からも影響を受けていますし、そうしたものが私の一部を形成している。ただ、この映画の制作中に何か具体的な映画について考えたりはしませんでした。

――監督の映画は世界中で受け入れられていますが、脚本を書く段階で、海外の観客を意識していますか?

 基本的には意識していません。でも、ちょっとしたディテールは正直、気にすることはありますね。例えば、今回の映画だとイポという架空の町が出てきますが、これは韓国だといかにもありそうな地名であると同時に、できるだけ短い名前にしたかったから、こういう名前になりました。だって字幕で、文字数が多いと困りますから(笑)。

 もう一つ、韓国人しかわからない独特なジョークや決まり文句というのも、避けるようにはしていますね。例えば、韓国ではおふざけの口喧嘩というか、『お前、俺がいくつかわかっているのか?』『じゃあ、身分証明書を見せろ!』って言うやりとりが、お決まりの冗談としてあるんです。こういう文化的差異が顕著すぎるものは、やはり避けるようにしますね。

2023.02.17(金)
文=石津文子