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離婚を経て事業を立ち上げた矢先に山火事が…

――その後はアメリカに戻って、チョコレート作りを本格的に始めたのですか?

 そうです。家族で住んでいたバージニア州の田舎町のファーマーズ・マーケットに出店しました。それが口コミで広まって、予想以上に売れてしまったのです。ニューヨークの有名なフードブロガーの人が、偶然私のチョコレートを食べて「なんでこんなに美味しいチョコレートがバージニアにあるんだ?」と紹介してくれたり、他の取材もたくさん来るようになりました。

 あれよあれよという間に忙しくなり、ケータリングや、お店やカフェ、レストランへの卸しを始めた頃です。主人と離婚の話になりまして。そのタイミングで娘が西海岸の大学に行くことが決まったので、私も娘と一緒に行くことを決めました。

――国際結婚のカップルが離婚をするのは、手続きも煩雑で大変だと聞きます。

 本当にそうですね。でも今でも仲は良くて、娘のこともしょっちゅう話しますし、お友達のような関係です。何か事件があって別れたわけではなく、お互いクセがある同士なので(笑)、だんだんすれ違っていってしまったというか。まあ、卒婚とでも言いましょうか。

――しかし、チョコレートの事業を立ち上げた矢先に、急転直下、山火事に遭遇されてしまいます。

 人生は予測がつかないですね。ワインとカカオの組み合わせに興味があり、ワイナリーのお土産用のチョコレートを作る話が決まり、資金投資もして、もうパッケージングまでし終わっていました。ところが、2017年10月のカリフォルニアの山火事で、我が家は全焼してしまったのです。本当に命からがら逃げました。提携先のワイナリーも、大きな被害を受けました。

 あの火事で焼けた面積は、東京都を超えるそうです。眠っていた深夜に発生したので、ご近所のおじさんがドアを必死に叩いて起こしてくれました。寝ぼけていたので、持ち出せたのは、パソコンとワイナリーとの契約書と、両親の位牌だけ。うちに泊まっていた友達なんて、冷蔵庫から糠漬けの樽を持ち出そうとしていたのです。今だから笑って話せますが、あのおじさんが叩き起こしてくれなかったら、私は今、ここにいないと思います。

 でも神様ってありがたいもので、何かを無くすと、何かが入ってくるのですね。下着1枚すら持たず友人の家に避難しましたが、彼女がブティックを営んでいたこともあり、普段私が着ないような高級な服をくださいました。知り合いの日本料理店のご主人も、私が普段口にしないような、マグロやお米や高級食材をたくさん玄関先に置いて行ってくれたり。まるで笠地蔵のようですね(笑)。

――火事の後に帰国されます。アメリカで生活を立て直すこともお考えになりましたか?

 火事に遭われたことがある方は分かると思いますが、燃えた後の匂いは強烈です。あらゆる物が溶けた、その匂いを嗅いだ時に、「ここにはいたくないな」と思いました。日本に帰って今後のことをゆっくり考えようと思い、友達の伊豆の別荘に住まわせてもらい、しばらく温泉でのんびりしていました。

2022.10.16(日)
文=石津文子
撮影=深野未季