NHKの連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」で、2代目ヒロインのるいを演じている女優・深津絵里(49)。彼女の芸能界入りに携わった地元の恩人女性が、「週刊文春」の取材に応じ、深津の「デビュー秘話」を明かした。

 深津は1973年、大分県別府市の生まれ。その後、大分市郊外の新興団地で育った。当時は、襟足を刈り上げたショートカット。コムサ・デ・モードのシックな洋服に身を包んだ少女は、団地でもひときわ目を引く存在だったという。

 そんな娘の才能をいち早く見出したのは、母・諭美子さんだった。オーディション雑誌を買い揃えては、芸能界の情報を熱心に集め、デビューのきっかけを探していたという。

 転機は13歳だった1986年。「ミス原宿」コンテストでグランプリに輝いたのだ。彼女に出場を勧めた恩人の女性が明かす。

「以前勤めていたレコード会社の人に、大分から誰かいないかと言われ、音楽関係の教室に携わる知人に聞いたら、『一人、眼力が半端じゃない子がいる』と」

 初対面でその魅力に惹かれた女性は諭美子さんとも意気投合し、指導を任された。

 

本人は乗り気ではなかったが、高い評価を受けデビュー

 ただ、深津自身は「はぁ……」と乗り気ではなかったという。それでもオーディションでは、度胸を見せつけ、独自の感性も発揮。関係者から高い評価を受け、デビューが決まった。

 翌1987年、深津は14歳で上京。当初はアイドル歌手としてCDもリリースしたが、次第に女優としての道を本格的に歩んでいくことになる。

 それから35年あまり、「カムカムエヴリバディ」の演技でも多くの視聴者を魅了している深津。いまや日本を代表する女優だ。

 女性が言う。

「あの時の13歳がこんな49歳になるなんて、思わんかったなぁ……。去年、朝ドラの出演が決まった時にメールしたら、『緊張してるけど、楽しみです』と返事が来た。るいの岡山弁は九州の方言と少し似ているところがあって。絵里ちゃんが10代の頃、銀座でお母さんと方言全開で話していたら、『銀座で言わんでもらっていいかね』って恥ずかしがって。『あんたも大分県人やろー!』と言って、2人で絵里ちゃんを怒らせたりして(笑)」

 2月2日(水)12時配信の「週刊文春 電子版」および2月3日(木)発売の「週刊文春」では、深津と亡くなった母・諭美子さんとの知られざる絆、事実婚状態にあるというスタイリスト・白山春久氏との関係、深津を知る映画監督や脚本家らの証言、不良グループに属していた10代の頃のエピソードなどを報じている。

2022.02.08(火)
文=「週刊文春」編集部