数百年単位の時間感覚

「ぶぶ漬けでもどうどす?」も、実は京都人らしい気づかいの一言だと聞いたことがあります。

 お客さんが「そろそろ失礼します」と立ち上がったときにかける言葉だからです。意訳すれば「もう帰るんですか? お名残り惜しいですね」ぐらいの挨拶。そこでお客さんが

「じゃあ、お言葉に甘えて」と座りなおしたら、かえって面食らうというややこしいことになります。

 京都にかぎらず、どの地域にも似たような暗黙のルールやプロトコル(約束事)はあるでしょう。ただ京都の場合は、1000年以上も都でしたから「これが常識や」「いちいち言わんでもわかるやろ」とよそ者に厳しい。むしろ、私のように外国から来た者は「知らなくて当然やな」と大目に見てもらえます。

 今年2月に上梓した『アフリカ人学長、京都修行中』では、この京都人コードをはじめとして、私がこの30年で知った京都のおもしろさや奥深さについて述べました。「京都の人たちは、京都について書いた本なんて読まないだろう」と際どい実例もたくさん紹介したところ、意外なことに京都の人たちから多くの反響がありました。自分たちにとっては自然な振る舞いが、私のような外国出身者の目にどう映ってるんやろ、と興味津々だったようです。

 今年の祇園祭は、去年に引きつづき、山鉾巡行が中止になりました。京都に住む者としては寂しいかぎりですが、京都の長い時間軸で考えれば、大したことではないようです。「そういえば令和の初めに、流行り病で山鉾建てができん年があったなぁ」と、まるで数日間のお休みぐらいの気持ちで受け止められるのです。

「京都で『先の戦争』といったら応仁の乱」という笑い話があるように、それだけ長い時間の感覚があります。菅原道真をまつる北野天満宮では、昨年9月に国家安寧を願う神式・仏式合同の「北野御霊会(ごりょうえ)」を執り行いました。新型コロナ感染症が終息しないなか、約550年ぶりに復活したとニュースになりました。僧侶が問答する法要を含む正式な御霊会は、1467年にはじまった応仁の乱で途絶えたそうです。京都の時間感覚からすれば、山鉾巡行が2年連続で中止になったことぐらい、大きな痛手ではないでしょう。

 新型コロナで我慢を強いられるのも一時的なこと。京都人コードは、ニューノーマルで少しぐらい揺らいでも、京都の街があるかぎり失われることはないでしょう。私の京都修行もまだ当分終わりそうもありません。

京都の人は「よそ者に冷たい」って本当!? 日本に暮らして約30年の“アフリカ人学長”が明かす驚きの“いけず”体験 へ続く

2021.06.23(水)
取材、構成=伊田欣司