地元の福岡市内にも 猿やフクロウがいました

――千松さんが自分たちの食べる分だけ獲っている一方、畑を荒らす鹿や猪は農家にとっては害獣であり、捕獲して焼却処分する場面があり、とても考えさせられました。

 「みんなで暮らす、地球。」という小学生でも知っていることを前提に考えると、未だにどうすれば良いのか分かりません。どうするかルールのように決めるべきことではなく、その瞬間その瞬間に辛い判断をしなければならないことだとは思います。

 人間が優位だということが大前提となっていますが、本来侵略したのはこちらです。地球から見ると、害獣とは人間のこと。

 精密機械のように、恐るべきバランスで保たれていた世界のハンドルと主導権を奪ったのは人間であることには間違いありませんし、そのコントロールを長年かけて誤ってきたために、地球と生き物と共に静かに滅亡に向かっていることも認めなければならない事実だと思います。

 多様性を改めて考え直し、様々な生物と共存していくべきでありながらも、それでも生きてゆくために、他の生き物の遺伝子をコントロールし、殺めることをせざるを得ないわけです。

 僕もこれまでのこと、これからのこと、たくさんのことを考えさせられました。

――千松さんが猟をしているのは京都の中心地からそれほど離れていない、いわゆる里山。自宅のすぐ裏にある山に罠を仕掛けているのが意外でした。池松さんの地元はどんな感じでしたか?

 僕が育ったのは福岡市内で、少し近しい要素があるかもしれません。都会も近いけれど、家の裏には山がある場所で育ちました。猪や鹿はいませんでしたが、猿やフクロウ、蛇などがいました。
 
――私の地元は東京の足立区なんですが、最近、鹿が荒川の河川敷に出てきたんです。ニュースにもなりました。埼玉の森か山から、川沿いに降りてきたんだろうと推測されるんですが、これも自粛期間で人がいないから、という説があり、動物にとって人間が害獣なのでは、と考えさせられました。

  近頃よく考えるのですが、多様性の時代のこの先に、仮に今ある問題が解決に向かったとして、次は動物の権利に行き着くのではないかと思っています。

 もう一部の団体や、アメリカなどの地域では声が上がってきているようですが、“animal lives matter”は、人間にとってさらなる難題になるのではないかと思います。

 それは本当に落としどころが難しいことですし、おそらく千松さんも何千、何万回とそのことを考えてきたんだと思います。

 結果、自分の手で必要な分だけの生き物をいただくという選択に至った。殺したくて殺しているわけでは決してありません。「これまで殺めた何百という命の悲しみが、自分には宿っている気がします」と先日おっしゃっていました。

 それでも、食べたら肉は格別においしいし、愛する家族は喜ぶ。自然の摂理と、生きることのありがたさを思わずにはいられません。

2020.08.23(日)
文=石津文子
撮影=榎本麻美