恩師との再会が収集を推し進めた

 彼の本格的な絵画収集のきっかけのひとつとなったのは、会社設立と同じころに再会した高等小学校時代の図画の恩師、洋画家・坂本繁二郎の言葉だった。

 坂本は、若くして世を去り、散逸の危機にあった同郷の画家・青木 繁の作品の収集を提案したという。

 この後、正二郎は青木をはじめとする日本近代洋画の収集を進め、やがて藤島武二など他の作家を含めた一大コレクションを形成していく。

 また、戦中からは西洋近代絵画の収集にも着手。国内にある名作を購入するかたちで徐々にコレクションを充実させていく。

 正二郎は、日本に所蔵されている美術品が世界恐慌などで散逸していく様を目にし、自分の手元にとどめることで、海外流出を少しでも食い止めたいと決意したのだった。

 こうして形を整えたコレクションは、戦後10年もたたない1952(昭和27)年のブリヂストン美術館開館により、多くの人々に公開されることとなった。

 正二郎は1956年に石橋財団を創設。収集活動は正二郎没後も石橋財団が継続し、その後もよりいっそうの拡張が図られる。

文=張替裕子(Giraffe)
撮影=橋本 篤