恩師との再会が収集を推し進めた
彼の本格的な絵画収集のきっかけのひとつとなったのは、会社設立と同じころに再会した高等小学校時代の図画の恩師、洋画家・坂本繁二郎の言葉だった。
坂本は、若くして世を去り、散逸の危機にあった同郷の画家・青木 繁の作品の収集を提案したという。
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小学校時代の代用教員だった洋画家・坂本繁二郎の依頼で石橋正二郎が購入し、収集の端緒となった作品。ブリヂストン美術館開館時から展示されてきた。
この後、正二郎は青木をはじめとする日本近代洋画の収集を進め、やがて藤島武二など他の作家を含めた一大コレクションを形成していく。
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日本近代洋画を牽引した藤島武二がイタリア滞在中に描き、大切に手元に残していた作品。親交の深かった正二郎が藤島の最晩年に譲り受けた。
また、戦中からは西洋近代絵画の収集にも着手。国内にある名作を購入するかたちで徐々にコレクションを充実させていく。
正二郎は、日本に所蔵されている美術品が世界恐慌などで散逸していく様を目にし、自分の手元にとどめることで、海外流出を少しでも食い止めたいと決意したのだった。
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この作品もまた正二郎がコレクション初期に購入したもの。セザンヌの画業を代表する、そして、西洋近代美術の流れのなかで非常に重要視される作品。
こうして形を整えたコレクションは、戦後10年もたたない1952(昭和27)年のブリヂストン美術館開館により、多くの人々に公開されることとなった。
正二郎は1956年に石橋財団を創設。収集活動は正二郎没後も石橋財団が継続し、その後もよりいっそうの拡張が図られる。
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抽象表現主義の代表的な画家、ジャクソン・ポロックの後期の作品。黒や様々な色の線のなかに天体のモティーフなどが描かれている。
文=張替裕子(Giraffe)
撮影=橋本 篤