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コミカルとリアルを行き来する物語のリズムがたまらない

そんな現実離れした世界で、登場人物がふとしたすきに見せる人間らしさにドキリとする。慣れないヒールで転んだ自分の靴を拾ってくれた男の子にぼうっと見入ってしまう。そんな初対面の場面が象徴するように、偶然の出会いや事件はいかにもロマンティックコメディらしく大仰で、コミカルに描写される。けれど彼らが正面から見つめあい言葉を交わすとき、画面からはいつしか余計なものが取り払われ、ただふたりだけが存在している。そうして交わされる会話の一言一言に、気づけばぐいぐい引き込まれる。非現実と現実との間を、誇張と単純さとの間を行き来する、その不思議なリズムに夢中になる。
主人公ふたりは、何度も出会い、会話を重ねていく。やがて、クールに見えた山田が実はとても不器用で自分の感情をうまく表現できない人だとわかってくる。茜は失恋の痛手を乗り越え、新しい一歩を踏み出したいと懸命になる。ふたりの心は徐々に近づくけれど、すぐに恋愛関係に発展するわけではない。大学生と高校生という歳の差や、いまの関係を壊すことへの恐怖心を、映画はていねいに描いていく。

ゆっくりと変化するふたりの関係を見ながら、なぜ自分が恋愛映画に惹かれるのかわかった気がする。恋愛を描くとはつまり、人が誰かと向き合うまでの時間を見つめることだ。そして、人が自分自身を発見していく過程を目撃することでもある。茜が山田の知らなかったいろんな一面を知っていくように、山田が自分の本当の気持ちを言葉にしたいと思い始めるように、ふたりは恋愛を通じて互いを発見し、やがて相手を正面から見つめようと決意する。その変化を、映画はどんなふうに映すのか。私はそれを見たいのだ。
2025.03.29(土)
文=月永理絵