しかし、なにはともあれ目の前に現れてくれた我が息子は心底愛おしい。私は帝王切開での出産で、しかもなぜか局部麻酔が効かず、全身麻酔で意識のないまま産んだのだが、目が覚めた私の前に現れた息子は絶対的に私の息子だと一瞬で確信できるほどだった。なんだろう、お互いの見えない絆のようなものを感じた。

 人はびっくりするくらい嬉しいことと、びっくりするくらい大変なことや悲しいことが同時に起こると、感情のスペースがキャパオーバーになり、溢れ出た気持ちたちがときには怒りだったり涙だったりになって外に溢れ出るのかもしれない。

 それだけ私にとっては、妊娠や出産は、心の動く時間であり出来事だった。

 そしてそれって、それだけ真剣に向き合って生きていたということではないか。

 わたしにとって「向き合う」ときとは、

  番組収録で発言できそうな瞬間があったのに勇気がでず、ただヘラヘラ笑って終わったり、

  断食中にファストフードを食べてしまったり、

  自分を実力以上に大きく見せようとしたり、

 そういう、自分の弱さに出くわす多くのときだ。

 そんなとき、一つだけちゃんとやってきたのは自分で自分をごまかさないことだ。 自分で自分に突っ込んでやるのだ。そうするとだんだんと可笑しくなってくる。

 自分を面白く思えてきて、最終的に愛おしくなるのだ。 そうやって自分なりに試しながら生きてはいるが、やはりそれができるのは本書で登場していただいた人たちのおかげなのだ。

 もう一度言わせてください。

 わたしは本当に周りの人に恵まれている。

 大切な人を失ったとき、誰かと深く付き合うのが怖くなった。

 自分を守るために人との深い繋がりを避けたくなった。

 自分が傷つきたくないから、心から誰かを愛することを躊躇しかけた。

 けれど結果としてそれはしなかった。

 というか出来なかった。

 それをしてしまうと大切な人とのたまらなく愛おしい思い出も否定してしまうような気がした。  

 だから声を大にして言いたい。

 わたしは心底、人が好きだ。

 好きな人のことをもっと好きになりたいし、 自分のことももっと好きになりたい。

 そうやってこれからも、大切な人に教えてもらった愛をもって深く繋がることを恐れずわたしは生きていきたい。

 けれどけれど、やっぱりわたしは人が好きだ。

 好きな人には想いをもって行動したい。

  二〇二三年八月 イモトアヤコ


「文庫版あとがき」より

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2024.01.08(月)